きょう現在、生きてます

 二月十九日(金曜日)、遅く目覚めて、そのぶん遅れて起き出して来た。そのため気が焦り、文章を書く気分はまったく殺がれている。こんなときは、あえて恥を晒すより休むにかぎる。これまで知り過ぎている、わが確かな経験則である。それでも、焦燥感に慄きながらキーを叩き始めている。それは、現在生きている証しのためである。
 八十歳を過ぎれば、時々刻々とめぐる時に合わせて、生きている証しを披露しなければならない。これすなわち、老後を生きる者の務めである。きょうは、一つだけ書き記して置きたいものがある。いや、腑に落ちないものがある。
 東京五輪・パラリンピック大会の組織委員会の新たな委員長には、きのう(二月十八日・木曜日)、橋本聖子前五輪大臣が決定した。前任の森会長が辞任(二月十二日)されて以来、一週間近くに及ぶ迷走ののちの決定である。この間の決定過程には、まるで蛆(うじ)が湧いたかのように、にわかにさまざまな世論が湧き出していた。浮かんだ四字熟語を浮かべれば、良かれ悪かれ「議論百出」のさ迷いぶりであった。
 過去の決め方からすれば、私にはまさしく青天の霹靂とも思えるものがあった。結果、世論を恐れて、それに阿(おもね)る決め方で、繕(つくろ)ったにすぎないように思えるところがある。確かに、もとより国民に見えるかたちで、議論を尽くし決まることが望ましいのではあろう。だとしたら、このたびの決め方は、良き前例となるのか、いやいや悪しき前例となるのであろうか。はなはだ疑問を残す決め方である。
 もちろん私は、橋本新会長にたいして、寸分の異存はない。なぜなら私は、当初から五輪相すなわち橋本大臣にすんなりとすればいいと、思っていたからである。挙句、単なる体裁づくりのごちゃごちゃの決め方になった。一方、後任の五輪相には、見えるかたちの議論などまったくなく、あっさりと丸川議員は指名された。元よりこちらは、国民には一分間さえも見えるかたちの決め方ではなかった。だからと言って不満かと言えば、不満を挟む余地さえまったくない。結局、このたびの橋本新会長の決め方には、メディアに煽られ続けた世論への阿りだけが見え見えのものとなっただけである。
 なんだか、すっきりしないところはある。ただ、うんざり感をともなう気分が救われるのは、普段のテレビ映像や記者会見などで垣間見る、橋本新会長のお人柄の良さである。もとより私は、橋本新会長には重責を頑張ってほしいと、万雷のエールを送るところである。一方、棚ぼたの丸川五輪相のニコニコ顔には、エールを送るつもりはない
 。生きている証しは、常になんだか切ない。書き殴りだから、無駄に長い文章になってしまった。ほとほと、詫びたい気分である。