ひぐらしの記 「灯台下暗し」 だれが悪いわけでもない。だから、だれかを責めるわけにもいかない。新型コロナウイルスへの対応は、だれもがもっぱら防御に努めるしか便法はない。こんななかにあってだれもが共通に実感できることは、新型コロナウイルスのこのところの新たな増勢ぶりである... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 好都合の夜にあって、文章が書けない 十一月二十日(金曜日)、長い夜。現在、パソコン上のデジタル時刻は、3:26と刻まれている。文章を書く気になれば時間は、まだたっぷりと残っている。ところが、書く気になれない。書けばおのずから、新型コロナウイルスの感染者数の数値になりそうである... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 新型コロナウイルス、感染者数二千人超 十一月十九日(木曜日)、現在のデジタル時刻は4:37である。目覚めて起き出して来たのは、二時半近くである。この間、大沢さまから送られてきた原稿の校正作業を試みた。校正作業とは文字どおり、わがミスの訂正作業である。おのずから、気分の滅入る作業... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 夜長、つれづれの迷い文 これまで、身近なところで眺めてきたものの一つには、道路工事は始まったらなかなか終わらない。ようやく終わったなと思えば、こんどはガス管工事が始まり、これもようやく終わったなと思えば、こんどは水道管工事が始まる。挙句、同じ個所が施工業者を替えて... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 映像「玉虫色の会談」 自然界は野山に秋色(しゅうしょく)を深めて、一日だけの小春日和でなくこのところは連日、初冬とは思えない暖かい陽射しをそそいでいる。人間界は新型コロナウイルス禍の恐怖の最中にあって、何ものにも勝る自然界の粋な計らいである。寒がり屋の私にはこれ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 能無しの私が浸る幸福(感) 私にはだれかれではなく、出会えた人のすべてに、恩に着るところがある。もちろん、声なき人たちのご厚情をも、まるで対面の出会いのごとく身に染みて、ありがたく感じている。双方を丸めてひと言で言えば、「ひぐらしの記」がもたらしている御縁である。 ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「七五三」日和にあって、様変わる風景 この季節、わが家周辺には黄葉が目立ち、中にはカエデの紅葉がひと際、わが目を愉しませてくれている。台風さえこなければ土砂崩れの恐れは遠のいて、季節感満喫である。道路の掃除にあっては日を替えて、夥(おびただ)しい数の落ち葉が一面に敷きしめられて... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 無題 十一月十四日(土曜日)、長い夜はいっこうに更けない。いまだに真夜中の佇まいにある(3:04)。新型コロナウイルスのことしか、書くことがない。いや、それしか書けない。もちろん、眠気まなこを見開いて、いたずら書きさえする気力もない。いつもの習性... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 わが身、冷える夜長 十一月十三日(金曜日)、日付を変えただけで、きのうとまったく同様の文章である。こんな文章は書くことはもとより、人様に読んでもらう価値もなく、書けば恥晒しにすぎない。もちろん、だれのせいでもなく私自身のせいである。その証しには、このところ掲示... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 寒波、コロナ第三波 十一月十二日(木曜日)、気温が下がり寒くなってきた。もう書くこともない。書きたいこともない。きょうは明らかな意志を持って、手抜きの文章である。だから、本当のところは休むべきである。なさけなくもそれに代えて、メディアの報じる引用文でお茶を濁す... ひぐらしの記前田静良