新型コロナウイルスとの戦い、つれづれ

 余儀ない新型コロナウイルスとの戦いのせいで、私は人類共通の光景に遭遇している。このことでは語弊があるけれど、ちょっぴり感慨深いものがある。惜しむらくはこの光景がもっと早く訪れていれば、多くの人の命が絶えずに救われていた。そのことでは残念無念この上ない。一方ではこんなにも早く無から有、すなわちワクチンを生み出した人類の知恵に驚嘆し、拍手喝采をせずにはおれない。人類は、確かな万物の霊長の証しである。
 きのう(五月二十四日・月曜日)から、日本の国の東西を分かつ大都市、すなわち東京都と大阪府においては、ワクチンの大規模接種が始まった。おのずからきのうのテレビニュースと映像は、ほぼ接種会場模様で埋めつくされていた。それは日本国民がどれほど首を長くして、ワクチン接種を待ち望んでいたかの確かな証しでもあった。そしてそれはどちらかと言えば背に腹はかえられない、付け焼刃と思える接種会場模様だった。ところが小さなトラブルさえなく、スムースにスタートしたと、伝えられている。このことでは、日本国民の節度と良識に安堵するところである。
 私の場合はすでに、一回目のワクチン接種は終えている。このおりの接種模様は、きのうテレビで観た接種光景とまったく同様である。私の場合もまた、普段のかかりつけの病医院ではなく、鎌倉市の行政が用意した三菱電機提供の体育館だった。初入りの体育館には、あちらこちらに急ごしらえの数々のブースが設けられていた。先ず私は、準備万端かつ用意周到な会場風景に度肝を抜かれた。同時に私は、接種にかかわる多くの係員の組織だった陣取りと尽力に驚嘆した。私は心底より感謝した。「瓢箪から駒」とも思える実体験であった。私は、まさしく人間の素晴らしさを実感した。
 幸いなるかな! 軌を一(いつ)にして、このところの東京都と大阪府の感染者数は、明らかに減少傾向にある。一方では二番煎じの記憶になるけれど、日本列島の南北の果てに位置する沖縄県と北海道にあっては、いまだに感染力の衰えを見ないままである。そのため沖縄県は、おととい(五月二十三日・日曜日)から六月二十日(日曜日)まで、緊急事態宣言を余儀なくしている。これに加えて、すでに宣言下(五月三十一日・月曜日まで)にある北海道を含む九都道府県は現在、そこまでで解除か、さらなる延長とするか? の思案のしどころにある。延長となれば期限は、沖縄県に同調するのであろうか。それとも、別の期限が設けられるのであろうか。大規模接種開始にあっても、まだまだこの先気分が休めない、新型コロナウイルスと日本社会の戦いである。両者の知恵比べであれば、人間が負けるはずはないと、高をくくっているところである。ただ、勝利の目安いや勝利の日はいつになるのか? なおもどかしい戦いに明け暮れそうである。
 わが二回目の接種予定は、六月十日と決められている。ところが、妻は予約にあぶれて先延ばしの未定である。だからと言って慌てることはない。なぜなら私は、国家事業とそれを支えるスタッフ(関係者)の並々ならぬ献身に接して、万感の思いを込めて信頼しきっているからである。人間はやはり、崇(あが)められる確かな万物の霊長である。このことは一回目に感じた、わがゆるぎない実感である。語弊はあるけれど、確かな感慨である。