歴史的「記念日」

 五月二十日(木曜日)、私は寝惚けてはいない。案外、気象庁の職員が、寝惚けているのかもしれない。なぜなら、梅雨入り宣言を忘れたかのような、梅雨空の夜明けが訪れている。夜間には、小雨が降ったのであろうか。窓ガラスに掛かるカーテンを開いて道路に目をやると、道路一帯が黒ずんでいる。ところどころはなお乾ききれずに、薄っすらと濡れたままである。側壁上のアジサイは、いまだ彩りは見せていないけれど、玉を大きくしている。自然界は、すでに梅雨入りした光景を醸している。おのずからわが気分も、梅雨入り状態にある。関東地方の梅雨入り宣言は、きょうあたりであろうか。この言い方は、先日の二番煎じである。そのときは、空振りに終わったからである。寝起きのわが脳髄には、大袈裟な表現が浮かんでいる。
 きょうの私は、まぎれもなく世界人民共通の行為に駆られている。不幸にも、こんなことは滅多にない。一方、余儀ないことながら、歴史的とも思える貴重な体験に遭遇している。すなわち、国を替えて世界の人々が体験しているテレビ映像を、まったく同様にみずからも写すこととなる。結論を急げばきょうのわが行動のハイライトには、新型コロナウイルスに抗する一回目のワクチン接種がある。
 ワクチン接種は、つごう二回で完結と言われている。鎌倉市の行政から届いている接種案内によれば、二回目の日取りは三週間後に必然的に決められるという。明かな日取りは、きょうの接種後にスタッフから伝えられるのであろう。そうであれば二回目の予約には、一回目のようにあたふたすることは免れることとなる。友人・知人に聞けば、一回目の予約にありついたことには、「君は、幸運だ!」と、言う。なんだか、キツネにつままれた思いである。すなわち、一回目の予約にありつくことは、困難きわまりない証しである。一回目の予約にあってはまさしく、人みな命を惜しむ競争場裏の修羅場に放り込まれたのである。
 このところの私は、幸運にありつけることどなく、このことでは思いがけない棚ぼたの幸運である。しかしながら幸運とはまったく思えない、人騙しのなんと微々たる幸運であろうか。ワクチン接種における早い者勝ちの幸運など、もちろん憂さ晴らしにさえならない悪運である。二度のワクチン接種が、はたして「効果、有る無しや!」と、疑うところもある。しかし一方で、人類の知恵の結実であれば、人体実験を厭(いと)わず、試してみる価値はありそうである。
 私は梅雨空とまがう空の下、鎌倉市ほどこしの無償のタクシー券を利用し、十時半頃に決められている接種会場へのお出ましである。こんなことを書くようでは、私は慢性の寝惚け、いや「寝とぼけ病」に罹っているのかもしれない。ともあれきょうは、わが人生における歴史的「記念日」と、言えそうである。無事に済まなければ、あながち、大袈裟とは言えない。