ワクチン接種、体験報告

 五月二十一日(金曜日)、「ひぐらしの記」の読者にあっては、おそらく先駆者であろうのとかんがみて、わが体験報告を試みています。きのう(五月二十日・木曜日)、私は新型コロナウイルにかかわる一度目のワクチン接種の行動と行為を体験しました。試みている報告は、接種に至る行動と接種行為、そして現在のわが状態です。
 まったく手慣れないスマホ操作に手を焼いて、どうにか予約に漕ぎついていた時間は、午前十一時から半の間でした。出かける準備は、前日までに万端ととのえていました。十時四十分あたりにスマホで、「大船交通」へ呼び出しの電話をかけました。約十分で迎えの車が、わが家の門付けに止まりました。車内に乗り込み、私は「コロナ会場の『三菱体育館』までお願いします」と言って、運転士の応答を待って、互いに短い会話を交わし合いました。そして私は、鎌倉市から届いている無償のタクシー券を手渡しました。運転士は心得ておられて、もめごとなく丁寧に対応されました。タクシーは十一時近くに体育館の玄関口に着き、エンジン音を止めました。玄関口あたりには、多くの人が出たり入ったりしていました。玄関口の外に並べられていたパイプ椅子には、数人が腰を下ろされていました。これらの人たちは、帰宅に向けてタクシーの到着を待っている人たちでした。付近には、ハンドマイクを手にした男性が整理係を務めていました。私が降車すると、並んでいたひとりの人が空いた車のタクシーに、急いで誘導されました。表現は悪いけれど玄関口周辺は、見渡すかぎり高齢者ばかりがウロウロしていました。私も、この光景に加わりました。いや、この光景に加えて、それらの人をベルトコンベヤーさながらに、手際よくさばく中年男女が、あちらこちらに陣取っていました。国家事業ゆえに、一目見るからに壮大かつ手際良い流れ作業です。
 私は、前日百円ショップで買い求めていたスリッパに履き替えて、おずおずと鏡面のように透き通った体育館の床に足を踏み入れました。こんなことが無ければ、もちろん足を踏み入れることのない体育館です。私は、天上高く、煌めく明かりの体育館の素晴らしさに度肝を抜かれました。広い館内は、すっかり接種会場へ模様替えがととのっていました。至る所に、ソウシャルデイスタンスを配慮されたパイプ椅子が置かれていました。それらの椅子には、係りの人たちが手際よく順送りに座っている人たちを誘導していました。
 注射針を打つブースまでたどり着くには、二度ほどパイプ椅子を渡り替えしなければなりません。肝心要の注射針を打つブースには、1~4の番号はふられていました。私の番が来て、「三番に入ってください」と言われて、私は女性係員にブースへ誘(いざな)われました。いよいよ私は、面談者(接種実践者)と出会い、接種の実行に辿り着きました。あらかじめ記載していた問診票を読んで、注射針をたずさえている人は、中年の女性でした。私は明るく「こんにちは」と言って、さらには「ご苦労様です。よろしくお願いします」と、ねぎらいの言葉を発した。そしてなお、野暮な言葉を加えた。
「お医者様ですか?」
 係りの女性は悪びれることなく、「わたしは看護師です」と、言葉を返された。
 すぐさま、私は言葉を重ねた。
「そうですか。時代の花形ですね。大変でしょうけれど、私たちにとってあなた様は、神様です。ありがとうございます」と、私は言った。
 この言葉が功を奏したのか。ブース内は、たちまち和んで、家庭的な雰囲気に様変わりした。私は半袖の肌着をまくりあげ、左肩を出しました。注射針が音無く刺さりました。思っていたほどの痛みはなく、安堵しました。ワクチン接種は、とどこおおりなく無事に終わりました。私は丁寧にお礼の言葉を述べて、このブースを後にしました。
 次のところへ向かい、次回の手続きが行われました。二度目は、六月十日と決められたものを手渡されました。最終コーナーではパイプ椅子に座り、約十五分間の経過観察を強いられました。私の場合は十一時四十五分までであり、その時刻になると退出(帰り)が許さることとなります。私は館内の大時計を凝視続けて、時計の針が定刻へめぐりくると、帰り支度をととのえて館外へ出ました。
 帰宅にはタクシーを呼んで、再び無償のタクシー券を利用しました。現在のわが状態は、注射針を刺した右肩全体に酷い痛みをおぼえています。しかし、気分の異変はまったくなく、気分はすこぶる安着状態です。書き殴り文を長々と書いて、謝りたい気分満杯です。二度目も進んで、打ちに参ります。