前田静良

ひぐらしの記

十一月末日、「感謝と御礼の大志」

十一月三十日(水曜日)。現在の壁時計の針は、きのうの夜更けを引き継いで、いまだ「丑三つ時」(午前2時から2時半頃)あたりをめぐっている。目が冴えて二度寝にありつけず、起き出して来た。起きたからにはパソコンを起ち上げるのは、わが身にこびりつい...
ひぐらしの記

防空頭巾、ヘルメット、マスク

十一月二十九日(火曜日)。雨戸開けっ広げの窓ガラスを通して太陽の光は見えず、頭上の二輪の蛍光灯の明かりが灯るだけの未だ夜明け前にある。起き立ての私は、こんなことを浮かべていた。ネタ無く、浮かんだ事柄に縋り、つらつら書き続けるつもりである。一...
ひぐらしの記

疲れがもたらした「オマケ」

十一月二十八日(月曜日)。夜明けまでは遠いもののぐっすり眠れて、起き出している。きのうは、まったく久しぶりに卓球クラブの練習へ出向いた。身体不自由の妻の世話係や、自分自身のままならない日常生活などのゆえに、気分の滅入りに遭って出向きは、長く...
ひぐらしの記

迷い文

十一月二十七日(日曜日)、壁時計の針は五時半過ぎを回っている。しかし、夜明けの明かりはまだ先である。このところ、厭きることなく繰り返している書き出し文である。おのずから自分自身工夫なく、それゆえになさけなく思う書き出しである。  日々、様々...
ひぐらしの記

老境の哀しみ

十一月二十六日(土曜日)、目覚めて寝床の中で、しばし気分直しをして起き出して来た。壁時計の針は五時近くだけれど、前方の雨戸開けっ広げの窓ガラスを通して、未だ暗闇である。夜長は冬至(十二月二十二日)へ向かって、まだまだ長くなるばかりである。こ...
ひぐらしの記

混雑する会場に、人間が紡ぎ出す「美的光景」

十一月二十五日(金曜日)、夜明けまでは、未(いま)だのところで起き出している。この文章を閉じる頃には、天気模様の判定がつきそうである。今、気懸かりなのは、きのうできずじまいになっている道路の掃除である。おとといの雨は夜が明けると、山からの落...
ひぐらしの記

日常

十一月二十四日(木曜日)。「トラキチ」(阪神タイガースにかかわる気違いじみたファン)ほどではないけれど、それでも祝福冷めやらぬ夜明け前にある。2022年サッカー・ワールドカップ(カタール)の初戦において、日本代表チームは対強豪ドイツチームに...
ひぐらしの記

勤労感謝の日

「勤労感謝の日」(11月23日・水曜日)。日本大百科全書(ニッポニカ)より引用。「勤労をたつとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」国民の祝日。1948年(昭和23)制定された。その前は国の祭日で、天皇が新穀を天神地祇 (てんじんちぎ)...
ひぐらしの記

恩義忘れず「だらだら文」

十一月二十二日(火曜日)。夜の静寂(しじま)の頭上の二輪の蛍光灯の明かりは、十五夜の月光に肖(あやか)るかのように、皓皓(こうこう)とふりそそいでいる。現在の時刻は、夜明け未だの四時前にある。夜明けの遅い仲冬ゆえに、こんな表現をしても、もち...
ひぐらしの記

書き殴りを「御免」と思う

十一月二十一日(月曜日)、今なお治りきらない口内炎の痛さに遭って、七転八倒しているうちに時は流れ、挙句に寝坊して起き出してきた。夜明けの時刻はとうに過ぎている。けれど、雨戸開けっ放しの前面の窓ガラスの外は、いまだに夜中のたたずまいにある。太...