書き殴りを「御免」と思う

 十一月二十一日(月曜日)、今なお治りきらない口内炎の痛さに遭って、七転八倒しているうちに時は流れ、挙句に寝坊して起き出してきた。夜明けの時刻はとうに過ぎている。けれど、雨戸開けっ放しの前面の窓ガラスの外は、いまだに夜中のたたずまいにある。太陽光線の恩恵は、はかり知れない。この世いや地球にあって、無償の恩恵に授かる筆頭は、太陽光線であることをあらためて知る。
 寝起きのわが脳髄は、空っぽである。こんなことではこの先を書くのは止めて、現在は「三十六計逃げるに如かず」の心境にある。しかしながら私は、口内炎の痛さを我慢して、パソコンを起ち上げてしまった。飛んだ、わがしくじりである。それゆえに脳髄の乏しさ、いわゆるバカ状態をさらけ出している。
 確かに、物事において「継続は力なり」である。ところが、こんな駄文で継続の力を求めるのは、本末転倒の誹(そし)りを免れない。それでも継続を求めるのは、わが浅ましさと貪欲さの証しであろう。私はいつも、こんな実のない、味気ないことを冒頭に綴っている。そうこうしているうちに、何か? 脳髄に浮かぶことを待っている。ところがきょうは、この先を続けても何も浮かびそうにない。
 「ああー、痛い!」。ベロ(舌)の突先マンホールみたいに、ぽっかりと穴を空けている。いや、一つの穴だけでなく、左右横広がりに爛(ただ)れている。ピロリ菌を退治して以来、幼年の頃から取りついていた口内炎は、バッタリと遠のいてくれていた。ピロリ菌退治は、鬼退治に勝る朗報だった。だから今回の口内炎の発症には余計、怖さを感じるものがある。すなわち、ピロリ菌退治の賞味期限はもとより消費期限切れにあっているのであろうか。次回の通院のおりには主治医にたいして、真っ先に「ピロリ菌は、生き返るのでしょうか?」と、尋ねるつもりでいる。
 たかが口内炎ではあるけれど、私の場合は確かな難病である。やはり、この先は書けずにパソコンを閉じる。はなはだ忝(かたじけな)く思う、二十分間程度の書き殴りである。継続文に値するかどうかは、わが知ったこっちゃない。寝坊助のせいで、焦って書いた。ところが、半面そのせいか、朝御飯の支度まではたっぷりと余裕時間を残している。薄闇の夜明けは雨降りである。