十一月二十四日(木曜日)。「トラキチ」(阪神タイガースにかかわる気違いじみたファン)ほどではないけれど、それでも祝福冷めやらぬ夜明け前にある。2022年サッカー・ワールドカップ(カタール)の初戦において、日本代表チームは対強豪ドイツチームに2-1で勝利した。スコアを見れば辛勝と言えるけれど、これまで四度にわたりワールドカップ杯を制しているドイツであれば圧勝の歴史的勝利という。私はテレビ観戦することなく床に就いていた。そのためこの朗報は、パソコンを起ち上げてすぐさま、ありついたものである。日本代表チームの歴史的勝利であれば、やはり記録に留めておかなければならない朗報である。
さて、いつものように自分自身のことを記すと、このところの習いにしたがって、真っ先に口内炎と胃部不快のことにふれなければならない。口内炎がベロ(舌先)に蓋のないマンホールの如く空けた穴は、ようやく八分どおり埋まった。しかしながら、痛さと胃部不快の治りはなお進まず、憂鬱気分の緩解は、未だに半分ほどで止まりである。こんななかにあってきょうの私には、新型コロナウイルスにたいする五度目のワクチン接種が予定されている。言うなれば、体調不良のなかの接種行動である。そのため従前の接種より、かなり気に懸かるところはある。けれど、やめるわけにもいかず、敢行するつもりでいる。命あるものすべて、生きるために食べている。命あるものすべて、生きるために行動している。
きょうの場合は、後者である。命とはそんなに大事なものか? と、思うところはある。こんなバカな思いをするのは、私が命に見合う生存を果たしていないせいであろうか。口内炎の患部には軟膏を塗ったくり、胃部不快には整胃薬を能書どおりにきっちり服んで、私は生きながらえている。いや、そんなたいそうなことではなく、早く痛みや不快感から逃れて、ご飯を美味く、楽しく食べたいためである。
つらつらと、このたびの口内炎の発症と胃部不快の因(もと)をめぐらした。すると、浮かんだことには、「生柿」の食べ過ぎかな? と、思えている。好物・柿のしっぺ返しにあっていれば、つらいところである。だからと言って、買い置きして山積みの柿にたいし、「こん畜生!……」と言って、はねのける勇気は、私にはない。もちろん、柿、食べ過ぎの祟りとか、報(むく)とは言いたくない。なぜなら、わが生きるために食べ物のなかにあって柿は、美味しさと郷愁をそなえるものの筆頭に位置している。ふたり、上がり框(かまち)に座り、母が剝いた柿の美味しさは、柿を剥き齧るたびに甦る。柿を放擲(ほうてき)しなければ、口内炎と胃部不快は治らないのか。そうであれば、生きることをあきらめたくなる。自分のことでは、気の晴れないバカなことを書いてしまった。階段を下りて、茶の間のテレビを点ければ、気が晴れるかもしれない。夜明けてみればきのうの雨はやんで、大空はのどかに彩雲をいだいている。