ひぐらしの記 連載『自分史・私』、20日目 わが家が日頃からかかりつけにしていた内田医院は、父親の老医師から二代目の長男・青年医師に代替わりをはじめていた。二代目の内田医師は、色白の眉目秀麗でお顔がふっくらとして、見るからに人格高潔で寡黙な医師だった。九州大学医学部を卒業し、インター... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 連載『自分史・私』、19日目 八十八夜、風薫る5月の空が照り輝く、最もさわやかな季節にあって、私は内田中学校の修学旅行に出かけていた。行き先は、二泊三日をかけての福岡市内周遊だった。私は洋々たる気分で帰って来た。道すがら土産物を見て喜ぶ、母の笑顔を思い浮かべていた。大き... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 連載『自分史・私』、18日目 毎年、元日の朝は、家族そろって食卓を囲んだ。父の音頭で新年の挨拶を交わした。『肥後の赤酒』で、猪口(ちょこ)一杯の乾杯をした。アルコールにはまったく縁のない父は、甘酒で舌を濡らした。それでも父は、すぐさま酒焼けの赤ら顔になり、大酒飲みの風体... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 連載『自分史・私』、17日目 父は高血圧症状や心臓病がもとで生じる息遣いの苦しさを「息がばかう」と表現し、たびたび口にした。高校生になって町中へ通うようになった私に父は、「薬屋で『救心』を買ってきてくれんや」と、頼んだ。「救心を服むと、息が楽になり、とてもええがね……」... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 連載『自分史・私』、16日目 父に初期の高血圧症状があらわれたのは、近くのクヌギ山の間伐に出かけていた日のことだった。不断の父は、すぐに高鼾(たかいびき)が出るほどに寝入りが早かった。働き尽くめできた者特有に父も昼寝が大好きで、「10分ほど寝るからね」と言っては、寝場所... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 連載『自分史・私』、15日目 いつも、母屋の戸口元に吊るされている、色褪せて使い古しの野良着は、父の働き盛りの晴れ着である。野良着は紺無地の狩衣風の「半切り」である。手許の電子辞書を開いて確かめた。「甚兵衛羽織」(じんべえはおり)と言うのかな。ところどころは擦り切れて、... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 連載『自分史・私』、14日目 (私の心中の父は、死人ではない)。様々な思い出が、「生きた姿」でよみがえり増幅する。挙句、わが自分史は、父の思い出で紙幅が埋め尽くされる。それはまた、箆棒な幸運である。私は、自分自身の「墓地」は買っていない。「前田家累代之墓」はふるさとにあ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 連載『自分史・私』、13日目 年の瀬、昭和35年12月30日、私は八百弘商店の店先で、顔馴染みの郵便配達員から一通の電報を受け取った。兄たちは車で配達に出かけるが、免許を持たない私だけはいつも、店頭で接客に明け暮れていた。だから、郵便物など外部からの届け物はほぼ、私が受... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 連載『自分史・私』、12日目 私は中央大学だけを2学部受けた。法学部は落ちたけれど、商学部は受かった。大学の中庭に掲示される合格者名簿は、二兄と並んで見遣った。この頃の私たちは、そののちの父には危篤状態は訪れず、病臥が続いていると聞いていた。受験を終えると兄たちは、「一... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 連載『自分史・私』、11日目 この文章は記録や資料などにはすがることなく、浮かぶ記憶のままに書き殴りで書いている。本音のところは早く書き終えて、楽になりたいだけである。言い訳がましいことを書いたけれど、自分自身、記憶がこんがらがっているから書き添えたものである。 八百... ひぐらしの記前田静良