人の命、わが命

 日々ふと、わが年齢(83歳)を思はない日はない。思えばそのたびにぞっとする。いつ何時、どうこうしてわが命は、果てるのだろうか。今さら、果てることに恐れはない。ひたすら恐れることは、命の果てかたである。もんどりうって果てることだけは、まったく御免蒙りたい思いである。このことは、このところの私によりついている願望と妄想である。
 人にはだれしも、平等に生きる権利がある。しかしながらその権利は、必ずしも平等には果たせない。震災をはじめとする天変地異がもたらす天災、そして事件・事故の絡む人災、ほかでもあまた日々、人の命は脅かされている。中でも、お釈迦様が諭す四苦、すなわち「生老病死」は、人ゆえの悲しい宿命である。そして、人の命にあってもっとも厄介に思えるものには、順番を問わない「老少不定」がある。人の命の儚さ、さらには果てかたの不平等さは、まるで雨後の筍のごとくきりなく、メデイア報道によって垂れ流されてくる。それは人の命の儚さの伝達であり、かつまた不平等な果てかたの確かな証しでもある。それゆえに人の世界には様々に古来、無病息災を願う催事や祭事が神仏頼りに行われてきた。もとよりおまじないとは承知の助で、現在もなお歳時(記)として営まれている。すべてこれらは手間暇かけて、あるいは多額の金銭を費消してまでも営む、遣る瀬無い習わしである。すると歳時(記)とは、人間に付き纏う「煩悩晴らし」の一覧表なのかもしれない。
 きょうは1月15日(月曜日)、新年も早や中日にある。机上の小さな卓上カレンダーには、「小正月」と添え書きされている。小正月にちなんで、子どもの頃の小正月を顧みれば、こんなことが心中によみがえる。いずれも、新年にからむ楽しい思い出である。
 元日の雑煮用の餅は暮に搗いてほぼ食べ尽くし、家人は小正月用の餅は新たに搗いた。保存剤はもちろんのこと、冷蔵庫などない当時は、餅に生える青カビには往生していた。青カビが目立ち始めた餅は、神棚に上げるには気が留めたのであろうか。家人は新たに、小正月用の餅を搗いた。そのときには再び、大きく平べったい鏡餅も搗いた。小正月には元日同様に、雑煮が食卓にのぼった。
 このしきたりとは別に小正月には、「どんど焼き」が地区ごと行われた。わが家が存在する「山下地区は」は、わが家の裏を流れている「内田川」の河川敷の中に、どんど焼きが作られた。村人たち総出で里山から切り出して来た青竹や雑木を用いて、手っ取り早くどんど焼きは出来上がった。そして、離れて回りを取り囲んだ衆目の中にあって、待ちかねていた火がめぐらされた。けたたましい轟音を響かせて燃え盛り、白い炎はゆらゆらと大空へ昇った。火の気が燻り始めるとどんど焼きを囲む山下地区の老若男女は、われ先(わが家先)に長い青竹の先っぽに挟んだ餅を先出し炙り始めた。こののちはそれぞれが、青竹の先に挟んだほどよく焼き焦げた餅を肩に担いで家路に就いた。どんど焼きは、残っていた正月用品、門松、しめ縄、書初めの半紙などを焼き尽くした。火の始末は、村人たちが終えた。どんど焼きの謂れなど、当時の私は知る由ない、楽しい行事だった。
 今にして思えば、楽しんでばかりはおれない、無病息災を願う切ない行事である。どんど焼きで焼いた餅を食えば、年中の病を除くという(電子辞書の記述)。昨年の暮れから私は、またまた歯医者通いを始めている。詰め歯が突如、欠け落ちたからである。だからこの間の私は、元日にあっても雑煮餅さえ遠のけている。いやそれ以来餅は一切、わが食品の埒外にある。
 きょうは心躍る、新たな入れ歯が嵌めこまれる日である。僥倖すなわち思いがけなく、小正月に間に合ったようだ。歯医者から帰れば、おそるおそる1個だけでも、餅の試し食いができそうである。両耳にはこれまた昨年末から、それまでの安価な集音器に代えて、補聴器を嵌めている(購入価格40万円余)。
 歳時(記)にまつわる数あるおまじない、さらには多額の金を費やしても、いずれわが命は断たれる。いずれとは、ほんのわずかな間である。ほのぼのと日本晴れの夜明けが訪れている。嘆くまい。