ひぐらしの記 晩節における楽しみ 四月十二日(月曜日)。春なのに、一度目覚めると、悶々として、再び眠れない。私は、晩節のつらさ、むなしさに、身を置いている。寝床の中で私は、堂々めぐりのさ迷いに、とりつかれていた。とりとめなく浮かび、めぐる思いの多くは、箸にも棒にもかからない... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「いかが、お暮らしですか?」 四月十一日(日曜日)、のどかな朝ぼらけが訪れている。ところがこの頃は、昼間はともかく、朝夕は遅れてきた花冷えに見舞われている。そのため、わが気分は委縮している。 新型コロナウイルスは、四度目の勢いを増しつつある。収束の目途、いまだ立たずで... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 野山賛歌 四月十日(土曜日)、きのうに続いて寝坊助の起き出しをこうむり、心が焦っている。加えてきょうは、好物・春山菜の食べ過ぎによる、胃部不快感に見舞われている。好物を寵愛(ちょうあい)ならぬ溺愛(できあい)したための自業自得の春の祟(たた)りと言え... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「春眠暁を覚えず」 四月九日(金曜日)、「春眠暁(あかつき)を覚えず」、寝坊してしまった。起き出して、焦燥感まみれになっている。こんな心理状態では、この先の文章は書けない。なんだかんだと理由をつけて、このところの私は、ズル休みに逃げ込んでいる。ウグイスの朝鳴き... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 無償のタクシー券につのる思い 新型コロナウイルスの問題は、まさしく魔界のもたらす出来事であり、加害者無き被害者現象の様相を呈しています。それゆえに人々は感染恐怖に慄(おのの)き、防御対策に梃子摺(てこず)っています。もちろん、日本政府や各地方自治体および医療関係者の対策... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 この先、書けない 四月六日(火曜日)、寒のぶり返しに遭って気分が萎えている。人間は苦しむために生まれている。現在のわが心境である。 このところの私は、ウグイスの鳴き声と、庭中に飛来するコジュケイへの米粒のばらまきに癒されている。人の出会いの季節は、桜散る季... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 タケノコ、礼賛 予期しない悪夢による不快感には、腹立たしさがつのるばかりである。一方、私自身がしでかす不快感には、腹立たしさはお蔵入りである。それでも、浮かぶ四字熟語を用いれば、わがしでかす不快感は、自業自得(じごうじとく)とは言えそうである。 学童のだ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 悪夢 スヤスヤと眠れれば人間は、それだけでじゅうぶん幸福である。ところが私の場合、安眠に恵まれることなど滅多にない。それゆえに安眠にありついたときには、冒頭の感慨がメラメラと湧いてくる。 このところの私は、就寝中にあって悪夢に魘されている。挙句... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 自己慰安 太公望(釣師)は、水中や海中に釣り糸(多くは天蚕糸・テグス)を垂らして、水面や海面に浮く「浮き」を凝視し、引くあるいは当たりという、手ごたえを一心不乱に待っている。まさしく、青天白日の心境である。もちろん、文章を書くわが心境は、太公望とはま... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 無駄の効用 春の季節は足早にめぐりながら、三月を過去ページへと移して、月を替えて四月一日(木曜日)の夜明けが訪れている。日本社会の習わしで表現すれば、春三月・別れの儀式多い月から、春四月・出会いの儀式の多い月へのバトンタッチとなる。並(な)べて三月と四... ひぐらしの記前田静良