ひぐらしの記 夜明けは、いつもの好天気 四月二十四日(土曜日)、今朝もまた遅い起き出しである。いつもであれば文尾に書いている朝日の模様を、きょうは冒頭に書いてみる。似たり寄ったりの文章に、姑息な手段で変化をもたらすためである。 夜明けの空は、すでに朝日に明るく染まり、大気と地上... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「生きるために食べている」 四月二十三日(金曜日)、こんな書き出しはどうでもいいことだけれど、今朝の私は「おさんどん」を先に済まして、階段を上がってきた。このことではこのところ続いていた寝坊助による心の焦りはなく、ゆったりとした気分には、ほんのりと余裕さえ感じている。... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「目覚めの、嗚呼、無情」 確かに、寝坊助が常態化している。四月二十二日(木曜日)、これまたこのところ定番化している表現である。それはこうである。すでに、朝日が煌々と輝いている。すなわち、夜明けはとうに過ぎている。今さらながらに私は、目覚めて寝床の中で、心中にこんなこ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 山は緑、ウグイス鳴く 四月二十一日(水曜日)、起きて窓ガラスを覆うカーテンを開ければ、新緑まぶしい季節にある。これにわが起き待ちのウグイスが喜んで、澄明(ちょうめい)な鳴き声を高音(たかね)で奏でてくれる。小鳥の鳴き声の表現の定番には、囀(さえず)るという、もの... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 晩春の目覚め 四月二十日(火曜日)、今朝もまた寝坊助に陥り、慌てて起き出して来た。しかし、寝ぼけまなこではなく、瞼はすっきりと開いている。すでに覚悟を決めたせいなのか、文章執筆にたいする焦燥感は遠のいている。夜明けの陽射しは、昼日中とまがうほどに煌々と輝... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 寝坊助は、わが宝物 四月十九日(月曜日)、今朝もまた寝坊助。このところ常態化しいて、もはや焦燥感はない。いやむしろ、余裕の起き出しである。起き出しの心に変化をもたらしているのは、二度寝ができないことで、悶々としていた頃がよみがえるからである。そのときに比べれば... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 愚痴こぼし、諦念 「ひぐらしの記」において私は、常々愚痴こぼしが尽きない。わが生来の性癖につきまとう、確かな悪癖である。だから、防ぎようのない恥晒しと、自認するところである。恥晒し打ち止めの唯一の便法は、もとより文章書きの打ち止めである。ところが、これを実践... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 嗚呼、ああ…… 書くこともない、書きたいこともない。年を取るということは、こうもつらいものかと感じている。すなわち、自分が年を取れば優しい、身内、友人、知人、すべてが年を取る。それが身に染みて、心に沁みてつらいのである。 こんな下種(げす)な文章を書いた... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 情報化社会は「諸刃の剣」 現代人は「否応(いやおう)無し」に、情報の渦の中に生きている。情報とは善かれ悪しかれ、それを受け取る人の心理を揺るがすものである。そのため、情報を受け取る人は常に、要(い)りようあるいは不要の取捨選択能力を磨いておかなければならない。なぜな... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 暗雲 もちろん、戦雲下とはまったく比べようはない。しかし、現下の日本社会に垂れ込む暗雲は、少しはそれに似ていて、日本国民の気分は晴れず塞ぐばかりである。いや、気分だけでなく命にかかわる災難をもたらしている元凶は、日本社会における新型コロナウイルス... ひぐらしの記前田静良