去就

 人気スポーツ、国内外のプロ野球界にあって今シーズンの話題は、大谷選手(エンゼルス)の活躍ぶりがひと際群を抜き続けた。その活躍ぶりは、一世紀前の数値さえをも呼び起こし、比較されて連日燦々たる称賛を浴び続けた。まさしく、国内外に轟く国際的スターの誕生であり、大谷選手は世紀を彩る名選手にその名を列ねたのである。
 大谷選手の活躍は、いくら称賛しても、しきれるものではない。この証しにはこの先、日本にとどまらず世界中の小さな野球ファンは大谷選手に憧れて、波打つごとく彼のようなプロ野球選手になることを夢見るであろう。もちろん、万々歳である。
 現在、プロ野球界は内外共に、来シーズンに向けて選手の去就のさ中にある。日本のプロ野球で言えば来週には(十月十一日・月曜日)には、今年度のドラフト(新人選択会議)が予定されている。会議とは名ばかりであり、実際のところはわが球団に欲しい選手の「クジ引き合戦」である。就活の一端をテレビで映し出すことには、私には必ずしも賛成できないものがある。しかし、主催者やメデイアにすればファン心理につけこんで、格好の視聴率や話題づくりとなっている。確かに、この光景を好む人たちがいるかぎり、非難するには野暮なところもある。私とて、野暮なかつぎ棒をかついでいる。
 どの球団にもおのずから、背に腹を変えられない必要悪とも言える定員管理がある。そのため、新人を選択して迎えるにあっては、それを前にしてほぼ同数の選手を解雇しなければならない。このことはプロ野球にかぎらずどの世界(業界)にでも見られる、職業選択(定員管理)にともなう厳しい掟である。
 プロ野球であれば人気スポーツゆえにほぼ連日、紙上に去りゆく人を表す「戦力外通告あるいは自由契約」の見出しの下に、それらの選手名が記されている。こうまでしなくてもいいと思うほどにそれは、寂しさが胸に詰まる記事でもある。確かに、栄枯盛衰は人の世の定めである。するとこの記事は、人生の厳しさとつらさを大っぴらに世間へ垂れ流し、それにたいする警鐘や教訓を含んでいるのであろうか。そうであればいくらか納得できるところはある。ところが実際には、そんな大義ではなさそうである。
 去就、すなわちかなしさ、うれしさ交々の人の世は、秋真っ盛りである。