魚心あれば水心

 十月十五日(金曜日)、時節は秋の夜長の走りにある。目覚めて、寝床の中でスマホ片手に仰向いて、二つの慣用句のおさらいを試みた。今さらおさらいをするまでもない、普段多用されるきわめて容易な日常語である。言うなれば、秋の夜長のいっときの時間潰しにすぎない。もっとましなことをすればいいけれど、せいぜいこれくらいが関の山である。
 一つは【溜飲が下がる】。「溜飲:不消化のため飲食物が胃に溜まって、喉に上がってくる酸っぱい液(胃液)。溜まらず、すっぽりと胃に落ちれば(下がれば)気分がすっきりする。不平、不満などが解消し、気分の晴れることをいう。類義語:胸のつかえがとれる」。一つは【魚心あれば水心(あり)】。
 「(魚に水と親しむ心があれば、水もそれに応じる心がある意から)、相手が好意を示せば、自分も相手に好意を示す気になる。相手の出方しだいで、こちらの応じ方が決まるということ。もとは、魚、心あれば、水、心あり。水心あれば魚心」。
 昨夜のナイターでは、タイガースが宿敵ジャイアンツに勝って、溜飲が下がった。確かに、今さらおさらいするまでもない、ごく短い時間潰しにすぎないものだった。この先の秋の夜長にあっては、いっそう気が揉めるところである。こんな時間潰しをするようでは、私はバカじゃなかろか! と、苛(さいな)まれている。