実りの秋にあって、脳裏に浮かぶふるさと原風景は、稲刈りから籾摺(もみず)りに至るまでの穫り入れ全風景である。この間にあって子どもの私は、すべてにかかわり家事労働の一役を任されていた。猫の手も借りたいほどのわが家にあっては、子どもとて私は十分すぎる働き手であった。
稲刈りから籾摺り、すなわち新米の穫り入れは、私にとって実りの秋によみがえる、特等の懐かしいふるさと原風景である。当時のわが家は、農家に兼ねて水車を回し、精米所を生業(なりわい)にしていた。それゆえに私は、新米はもとより米全般へのこだわりには尋常でないものがある。精米所とはいえ精米にかぎらず、麦刈り、麦を精(しら)げること、そしてそれを粉にする(製粉)工程もまた、懐かしくよみがえる。
しかしながら麦刈りは、初夏(五月ころ)のふるさと原風景である。それゆえに実りの秋から外れた、ふるさと原風景の一角(ひとかど)を成すものである。また、麦刈りから穫り入れまでの麦仕納(むぎじのう)は、米仕納(こめじのう)に比べれば、仕事量とそれにつきまとう感興や感慨には雲泥の差がある。
実りの秋の感慨は、一頭地抜いて一入(ひとしお)である。稲仕納には稲刈り鎌、稲扱ぎ機、そして籾摺りには発動機が家族の人手と共に、大車輪の活動をした。半円まではないが曲がった稲刈り鎌は、子どものわが手にもなじんだ。稲扱ぎ機には、稲わらを丸めて長兄へ手渡す風景と、ジータン・バータンの音がよみがえる。籾摺りにおける発動機は自家用ではなく、馴染みの委託業者のものだった。この音は、耳を劈(つんざ)くほどの絶え間ないドウ・ドウだった。
きのう(十月十六日・土曜日)の夜、甥っ子から手配を依頼していた今年度(令和三年)産、新米(三十キロ)が届いた。実りの秋にあって、真打のふるさと原風景がつのるばかりである。とめようなくよみがえるふるさと原風景だけれど、風邪をひいて頭重のせいで、尻切れトンボのままに結文とする。ふるさと産新米は、風邪薬をはるかに超えて、効果覿面の風邪退治になること請(う)け合いである。