いつものことだけれど一旦かかりだすと、歯医者通いは長丁場になる。来週(十月十九日・火曜日)にもまた、予約が入れられた。今回の場合は三か月検診ゆえに、気楽な通院ではある。それでも、来週を含めば三度の通院となる。三度目で打ち止めとなるのかどうかは、心もとない。来週で打ち止めとなっても三か月先には、また検診要請のはがきがくることとなる。こうなると年四回の検診は、命の終焉まで続くのであろうか。現在の私は、このことにとことん怯えている。疑心暗鬼まみれでもある。
わが心中に蔓延る、確かな雑念である。半面、歯医者通いくらいで済めばいいけれど、という思いはある。なぜなら、身体にはいたるところで病が、出番を待って伏在している。顔面だけでもほかには、緑内障経過治療のために眼科医院への半年ごとの通院がある。そしてこちらは、すでにエンドレス確定にある。さらに、耳には難聴がわざわいし集音機を嵌めて、絶え間ない鬱陶しさに加えて、会話喪失の社会生活を脅かされている。これらのほか、目に見えない、あるいは知覚できない内臓の病は、万病としてひかえている。おのずからこちらにもまた、十二月に内視鏡検査が予約されている。幸いにして今のところは、大病あるいは不治の病の発症はない。いや、自己診断による病の症状はない。そうであっても、日々蝕まれてゆく身体現象は、さまざまなところで顕在している。まさしくわが身体は、加齢現象の真っただ中にある。
私に限るものではなく人間ゆえと観念し、耐えて生き長らえている。幸か不幸か命にはエンドレスはなく、やがては打ち止めとなる。挙句、これらのこと、いやすべてのことから解き放される。そのときこそ案外、至上の幸福なのかもしれない。
好季節、中秋半ば(十月十二日・火曜日)にあって、そぼふる雨の夜明けである。