ひぐらしの記 予告、撤回 十二月二十五日(金曜日)、幸運にもギリギリのところで予告撤回にありついている。私はおととい(十二月二十三日・水曜日)の文章、すなわち『年の瀬にあって、とんだ災難』の文尾に、次の項を書き添えていた。「予告:あさっての二十五日から、このパソコン... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 デジタル教科書 かねてから私は、デジタル社会には住めない、いや生きていけない人間だ! と、思っている。この思いはきのう(十二月二十三日・水曜日)書いた、『年の瀬にあって、とんだ災難』の内容で、止めを刺されたところがある。そんなおり目にしたのは、この配信ニュ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 年の瀬にあって、とんだ災難 十二月二十三日(水曜日)、わが心境はきのうから変調をきたしています。実際のところ身体は健康ながら、精神は死に体です。すなわち、広くデジタルの世の中にあって、私はパソコン病に見舞われて精神の病に罹っています。腹立たしさこのうえない状態です。 ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 ユズの実 きのう、「冬至」(十二月二十一日・月曜日)が過ぎた。きょう(十二月二十二日(火曜日)は、半年先すなわち令和三年(二〇二一年)の「夏至」(六月二十一日)へ向かってのスタートとなる。遠い先のことのようだけれど、半年など短い時のめぐりである。特こ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「冬至」 「冬至」(十二月二十一日・月曜日)。私にはきわめて感慨のつのる日である。一つは、「夏至」と対比されて一年のなかで、半年ごとの折り返し点である。一つは最も夜間が長く、そのぶん最も昼間が短い日である。さらに加えれば冬至にまつわる古来の風習、すな... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 年の瀬はカウントダウン 十二月二十日(日曜日)、現在、パソコン上のデジタル時刻は3:23と、刻まれている。年の瀬も大晦日に向かって、いよいよカウントダウンの始まりである。ところが、いっこうに年の瀬の感じがない。もちろん、来る日も来る日も新型コロナウイルスの終息に気... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 人生の哀歓、いや哀感 十二月十九日(土曜日)、気分悪く起き出している。就寝中、胃部不快感をおぼえていたせいである。おのずから、起き出しても気分が滅入っている。就寝中の胃部不快感は、このところ常態化しつつある。こんなことで現在、文章を書く気分が殺がれている。こう書... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 私は弱虫 「人間は考える葦である」(パスカル)。この意味するところは珍紛漢紛(ちんぷんかんぷん)である。しかし、私も人間のはしくれだから、雑駁(ざっぱく)な感情は持っている。そして、日々それに悩まされ続けている。もちろん、多雪地方の人たち、はたまた新... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 感涙! 感謝! 十二月十七日(木曜日)、普段とは異なる心境をたずさえて置き出しています(3:46)。ひと言で言えば、人間の情愛の深さに心打たれています。それをもたらしているのは、思いがけなく掲示板上にたまわったご投稿文と三枚の写真のおかげです。お写真は新型... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「時の言葉」 十二月十六日(水曜日)、もうどうにもならない、もうどうしようもない、という共に似たような意味の二つの言葉を浮かべて置き出して来た。浮かべた言葉はもちろん、新型コロナウイルスの感染拡大にたいしてである。イギリスやアメリカからは、ワクチン接種開... ひぐらしの記前田静良