十二月二十五日(金曜日)、幸運にもギリギリのところで予告撤回にありついている。私はおととい(十二月二十三日・水曜日)の文章、すなわち『年の瀬にあって、とんだ災難』の文尾に、次の項を書き添えていた。「予告:あさっての二十五日から、このパソコンはメールとワードの機能を失くします。デジタルとかパソコン生活は、もうコリゴリです。年の瀬の憂鬱は、いや増しています」。諦めとはそれですっきりするものではなく、私はやるせなく悶々とする渦の中に放り込まれていた。
ところが、「捨てる神あれば拾う神あり」。私は実在する二人の神様に拾われたのである。まず拾って、紹介を得て助けてくださった女神は大沢さまである。次に、修復作業で助けてくださった男神は、それまでは存在さえ知らずにいた人である。すなわち、大沢さまはわが難儀をおもんぱかり、デジタル社会を難なく闊歩されている技能者をご紹介してくださったのである。
マイクロソフト社にあって入れ代わり立ち代わり、男性一人と女性四人つごう五人との相談の明け暮れにも埒明かず、私は疲れ切っていた。なぜならマイクロソフト社との修復のやりとりは、朝っぱらから夕闇迫る頃まで続いていた。それでも修復ならず疲れ切り、私は修復を諦めていたのである。大沢さまのご紹介を得て、遠隔操作で修復作業にたずさわってくださった人は、懸命に作業をなされた。この間の私は、修復作業をパソコン画面で見入り続けて、同時にマウスさばきに見惚れていた。二日がかりの作業の末にパソコンは、元の機能を回復したのである。私は実在する女神様の優しさと、男神様の技量の為す幸運にさずかったのである。男神様には一万円弱の賽銭(奉仕料)が必要だったけれど、わが憂悶が解けたことではお安い料金であった。大沢さまには勝手に無料と決めこみ、この文章で心底より御礼を申し上げるところである。年の瀬の災難は、修復なってもいまだに腑に落ちないとんだ災難だった。
確かに、デジタル社会は、わが身には無慈悲と言えるほどに冷たいものがある。しかし、それを凌いで人様の情けには、とことん温かいものがある。もとより人の世は、文明の利器に救われるものではなく、人の優しさに救われる証しである。「災い転じて福となす」。現在のわが心境である。