テレビ映像でマスク姿を観るかぎり、確かに世界は一つである。必ずしも有意義な学びとは言えないけれど、新型コロナウイルスの蔓延状況から、学んでいるわが世界観のひとつである。これくらいは学ばなければ令和二年(二〇二〇年)は、まったく為すすべなく閉じることとなる。
「井の中の蛙(かわず)大海を知らず」。世の中に疎(うと)い私の場合、とんだことで学んだ世界観とはいえ、いくらかありがたく思えるところはある。だけど、世界中が悲惨な状況にあっては、あえてこんなことを吐露することは、やはり罰当たりであろう。それでも私は、わが身に染みてかつ臨場感をもって、さまざまな現場映像から「世界は一つ」という、思いをつのらせている。
世界の国々にあっても、だれひとりマスク無しに歩いている人はいない。はたまた、医療現場における医師、看護師、そして患者模様は、普段日本国内で垣間見る動きとまったく同様である。今さらながら私は、「百聞は一見に如かず」の意味を、テレビ映像を通して学んでいる。どれもこれもが海外、すなわち異国の光景とは思えないものばかりである。グローバル時代にあっても私は、まさしく「井の中の蛙」状態に甘んじている。それによるわが世界観の乏しさは、ほとほと恥じ入るばかりである。挙句私は、デジタル社会はもとより、グローバル社会にも住めない生きる屍(しかばね)状態にある。年の瀬にあってこんなことを吐露し、さらに書くようでは「身も蓋もない」。
新型コロナウイルスで明け暮れている日本社会にあって、多くの人はすでにきのう(十二月二十六日・土曜日)あたりから年末年始休暇に入っている。このことを私は、きのうの買い物のおりの人出の多さで実感したのである。つまりきのうの私は、正月用の買い物客の多さに出遭って、だれもが余儀なく「ホームステイ(在宅)」を決め込んでいることを実感したのである。そしてその光景は、おのずからソーシャルディスタンス(二メートルほどの距離)など、ままならない混雑ぶりだった。過ぎたイブやクリスマスの日に、テレビに映された世界中の光景もほぼ同様だった。
新型コロナウイルスはいやおうなく私に、新たな世界観の学びをもたらしている。だからと言って、「棚から牡丹餅」と嘯(うそぶ)くことはできず、オロオロとするばかりである。わが家の正月用の買い物は、密を避けてきのう一度きりで早じまいである。「ホームステイ」の要請は、神妙にうけたまわっている。