人生の哀歓、いや哀感

 十二月十九日(土曜日)、気分悪く起き出している。就寝中、胃部不快感をおぼえていたせいである。おのずから、起き出しても気分が滅入っている。就寝中の胃部不快感は、このところ常態化しつつある。こんなことで現在、文章を書く気分が殺がれている。こう書いてこの先書けず、休養を決め込む手はある。しかし、せっかくキーボードへ向かっていることでもあるから、ふと浮んでいる成句を書いて、夜明けまでの時間を埋めることとする。
 電子辞書を開いて復習するまでもなく、だれもが日常的に用いる成句を三つほど書き添えることとする。こんな成句が浮かぶのは胃部不快感にともない、わが身に焼きが回っているのであろうか。そうであれば、「くわばら、くわばら……」である。
 【禍福は糾(あざな)える縄の如し】:幸福と不幸はより合わせた縄のように表裏一体であるということ。
 【塞翁が馬】:人生の幸不幸は予測しがたいことのたとえ。出典:淮南子・人間訓の故事に基づく句。昔、中国の北辺の塞(とりで)近くに住んでいた占いの巧みな老人(塞翁)の馬が胡の国に逃げた。気の毒がる隣人に老人は「これは幸福の基になるだろう」と言ったところ、やがてその馬が胡の駿馬(しゅんめ)を連れて戻ってきた。隣人がそれを祝うと、老人は「これは不幸の基になるはずだ」と言った。老人の家は良馬に恵まれたが、駿馬を好む老人の子が落馬して足の骨を折ってしまった。隣人がそれを見舞うと、老人は今度は「これが幸福の基になるだろう」と言った。一年後胡軍が大挙して侵入し、若者のほとんどが戦死した。しかし、足を折ったその子は戦わず済んだので、親子ともども無事であったという。
 【沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり】:人生のうちには悪いときもあればよいこともあるということ。悪いことばかりが続くものではないというたとえ。
 ……そうかなあー……。夜明けまではまだたっぷりと悶(もだ)えそうである。