ひぐらしの記 昼間書きの文章 6月25日(日)、四囲の窓ガラスのすべてを網戸に変えた。すかさず、ウグイスの鳴き声が「ホウー、ホケキョ」と、頻りに耳穴に入ってくる。騒がしいと言うと罰が当たる。いや、千金はたいても買えない、無償の贈り物である。夏至が過ぎればやがてウグイスは... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「夏至」における嘆き 「夏至」(6月21日)が過ぎれば夏が訪れる。夏が過ぎれば秋が訪れる。「立冬」(11月8日)を挟んで冬の季節になると、「冬至」(12月22日)が訪れる。この間の7月には、年齢を重ねるわが誕生日がある。半年ごとの季節のめぐりは短く、毎年、心が急... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「夏至」過ぎていて、慌てて書く 6月23日(金)昼間、NHKテレビは、78回目の「沖縄・慰霊の日」にかかわるニュースを盛んに報じている。毎年、同じようなニュースの繰り返しだけれど、実際には現地の風景を変えている。なぜなら、沖縄戦の記憶を伝える人たちは、年年歳歳減少するばか... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 無題 パソコンを起ち上げた。ところが、書くことがなく、休もうと、閉じかけた。すると、私を助け、「ひぐらしの記」の継続を叶える、出来事が浮かんだ。とうとう、多くのきょうだいの中で、生存者は私一人だけになった。寂しさ、無限につのるものがある。「捨てる... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 おっちょこちょこの人生 パソコンを起ち上げて、のっけから電子辞書を開いている。「徳俵:相撲で、土俵の東西南北に、俵の幅だけ外側にずらしておいてある俵」。力士にすればオマケの俵である。だから、徳俵と名がついている。これくらいの説明書きがなければ、電子辞書の価値はない... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 人生終盤における、一つの述懐 現在の私は、人生の最終盤を生きている。来月7月には83歳になる。最終盤というより、余命はほんの僅かである。この間の私は、もちろん仕事ではなく、趣味でもなく、ただいたずらに四半期を超える長い間、文章を(作る、書く、生む、綴る、紡ぐ、記す)こと... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 人生行路における「不運と幸運」 「合格証書一級前田静良 あなたは文部省認定平成八年第三回漢字能力試験において頭書の等級に合格したことを証明します。平成九年二月二十四日 財団法人日本漢字能力検定協会理事長大久保昇 第九六三00000六一号」。私の人生行路における文章書きにか... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 命 父は先妻を喪い、後添えに母を迎えて、二人の妻から生まれた14人の子どもたちを養い育てた。そして、戦争が終わった昭和20年8月15日から15年後、父は昭和35年12月30日に他界した(享年77)。それから25年後、母は昭和60年7月15日に亡... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 連載『自分史・私』、22日目、中途完結 私は苦慮している。とても、後悔している。自分史とは、自分の記憶や記録を書き留めているものであり、もちろんブログ等で公開する読み物ではない。私日記のように書き留めて置けば済むものである。ゆえに自分史は、書き殴りであろうと、雑多なことの繰り返し... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 連載『自分史・私』、21日目 主治医にとってほかの医院や病院の医師との立ち合い診察は、みずからの技量の未熟さを認めるようであり、耐えられない屈辱でもあるという。そのため主治医がそれを拒むため患者は、可惜(あたら)命を亡くす人が多々いるという。ところが幸いにも内田医師には... ひぐらしの記前田静良