1月21日(日曜日)。きのうの「大寒」を過ぎて気象は、この先の春へ向けて、いよいよ「擂り鉢の底」を這い上がる。だけど、その歩みはチンタラチンタラであり、たったの一日の経過くらいでは、寒気の緩みは感じられない。寒気は未だ、大寒の中にある。気象とて駆け上がる虫けらのごとくに、途中でずり落ちたり、転げ落ちたりする。春待つ人間にすればそれは、思いがけない寒気のぶり返しであったり、時ならぬ雪降りへの遭遇である。天界のことにしろ、人間界のことにしろ、物事は筋書きどおりに進むことはきわめてまれである。おとといの気象予報士は、きのうときょうにかけての降雪予報をしでかした。あえて、「しでかした」と書いたのは、わが咄嗟の悪知恵である。
真夜中(2:12)にあって私は、掛かるカーテンを撥ね退けて、しばし窓ガラス際に佇み、目を凝らして外気を確かめた。すると小雨が降っていて、道路の濡れが一基の外灯の光で照り返された。この先、小雨が雪に変われば、気象予報士の予報はぴったしカンカンとなる。職業柄、心ある気象予報士は、気を揉んでいるかもしれない。いや、「気象のことなど、おれの知ったこっちゃない!」。気象予報士はこう嘯いて、轟々と寝息を立てているかもしれない。
職業柄とは言っても、確かに気象のことに気を揉むことは馬鹿げている。なぜなら、気象予報は当たるも八卦、当たらぬも八卦。すなわち、もとより気象予報には確率という、逃げ道が用意されている。机上の卓上カレンダーにはきょうは、「初大師」という添え書きがある。私には何のことかわからず、電子辞書を開いた。「初大師:その年の初めての弘法大師の縁日」。すると、信心ある人はきょうには、新年になって初めての「お大師さん参り」をするのであろうか。私には要のない歳時(記)である。
私の場合は、父、母、長兄、二兄、三兄、四兄、そして唯一の赤ん坊(生後11か月)の弟、はたまた、長姉、二姉の命日さえおぼろである。加えて異母と、それが産んだ6人の兄姉の命日ともなれば、残されている「命日一覧表」にすがるしかない。もちろん今や、これらにお墓参りは叶わず、翳る面影を浮かべるにすぎない。だから私には、他人の「お大師さん参り」など、まったく要無しである。
文章書きにおけるわが60(歳)の手習いは、すでに70歳代を経て、80歳代へ進み現在は、83歳を数えている。こののち手習いは未完成のままに、まもなくわが身は棺の中に横たわる。「生涯は長い」と言う人がいる。けれど、私はそうは思わない。私の場合たぶんそれは、60の手習いさえ果たせず、命が尽きそうだからであろう。もっと具体的に言えばそれは、「ひぐらしの記、夢の100号の製本(単行本)」は、果たせずじまいになりそうだからである。
きのうの掲示板上には「現代文藝社編集室だより」として、主宰者の大沢さまより、「ひぐらしの記89集」の発行案内が載った。もとより、わが書き殴りの文章を大沢さまのご厚意で、編まれ続けている製本(単行本)である。これにちなんで私は、類語を浮かべて電子辞書を開いた。それらの語句は、刊行、出版、上梓などの類である。なぜなら私は、これらの語句には違和感をおぼえていた。そして、当を得た「発行」に安堵した。発行であれば単に、製本(単行本)になっただけでのことであり、頷けるところがある。
「夢の100号」、確かにそれを叶えるには、もはやわが命は足りそうにない。気力にはすでに翳りが見えている。生来の怠け心は安楽を貪り、2か月余の空白を招いた。そしてこののちの再始動は、2週間余で早や息切れ状態にある。だから、60の手習いの未完成と生来の怠惰心を重ねて鑑みれば、「夢の100号」までの残りの11集は、夢のまた夢、夢まぼろしである。
立って再び、窓ガラスから外を覗いた。小雨のままである。ごちゃまぜの文章はここで閉じないと、身体ふるえるままにいたずらにエンドレスになりそうである。デジタル時刻は、3:32と刻んでいる。