ひぐらしの記

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連載『自分史・私』、3日目

鹿本郡内田村、六郷村、そして菊池郡城北村、すなわち三村合併にちなんで、公募から生まれた新しい村の名は「菊鹿村」と決まった。「菊鹿村」それは、菊池郡と鹿本郡から頭文字一字を抱き合わせたにすぎないものだった。だから、私の気分的には拍子抜けを被り...
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連載『自分史・私』、2日目

私の住まいは鎌倉市内にある、今泉台住宅地の中にある。とりわけ、山際の一隅にある。わが家を挟んだ住宅地の周回道路の先には、鎌倉の尾根を成す「円海山山系」が連ねている。この尾根は、通称「鎌倉アルプス」とも呼ばれている。ところがそれらの高名に恥じ...
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連載『自分史・私』、完結のあてどはない

再び「掲示板」を汚す身勝手を許してください。恥を忍んでこれからこの先へ綴る文章は、前回の『少年』と相似た、書き殴りのみすぼらしい文章です。しかしながらこれまた、わが文章修業(60歳の手習い)の原点です。なかんずくこの文章は、「現代文藝社」(...
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祝意と感謝

『流星群49号』の発行に際し、大沢さまにたいして、祝意と感謝を申し上げます。次号の50号は、25年継続の記念号になりますね。創刊のおりに私は、埼玉県和光市のご自宅に、書き手仲間の一人として集っています。そのときの仲間も現在は、だれひとりとし...
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連載『桜つれづれ』、三日続き三日目(完結)

昭和二十二年初旬、まだ桜の花が散り残る頃、私は熊本県北部地域にある当時の内田村、村立内田小学校の正門をくぐった。花の盛りは過ぎていたけれど、校舎周りの桜の花はいくらか散り残り、ピカピカ一年生の心は華やいだ。繋いでいた温もりのある母の手の平か...
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連載『桜つれづれ』、三日続き二日目

桜の花をめぐるいろんな思いを胸に収めて、私は桜の花の下を歩いて行く。時を合わせるかのようにウグイスが、「ホケキョ、ホウケキョケキョ」と、鳴いている。桜前線の北上を待っていても、待つほどには桜の花は、私の前に長居をしてくれない。桜の花が自然界...
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連載『桜つれづれ』、三日続き一日目

第75回コスモス文学新人賞奨励賞「随筆部門」『桜つれづれ』前田静良。  定年後を見据えて独り、手習いを始めた頃の文章です。だから、拙くても愛着があります。三日間、掲示板を汚します。お許しください。あしからず。  平成十一年、鎌倉の桜の花は都...
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連載『少年』、二十日目(完結)

日本の国が敗戦後のいたるところで復興の槌音を鳴らしていた頃、父は人生の仕上げどきを迎えていた。やがて父は、母長男の一良兄を後継者と決めて家督を譲り、ひねもす老境生活に入った。働き盛りの頃の父は、大車輪で働いていたと、母はもとより父の働きぶり...
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連載『少年』、十九日目

少年は体を損ねることなく登校した。小学校一年生から六年生までの学年末の終業式の日にあっての少年は、毎年一年間の「無欠席賞状」をもらった。そして、六年生の終業式の日には、一年間に併せて「六年間無欠席賞状」ももらった。ちなみに少年は、内田中学校...
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連載『少年』十八日目

少年にとって夏の内田川は、レジャーランドとなった。日課の『夏休みの友』やほかの宿題を終えると少年は、午後には内田川の中にいた。少年は猿股パンツ一つで裸になり、夏休み中内田川で遊んだ。このため少年の体は、まるで黒棒菓子みたいになり、裸の体は黒...