「秋」忘れの季節

 現行の振替休日の「スポーツの日」が過ぎて、かつての「体育の日」(10月10日・火曜日)の夜明けが訪れている。好季節を鑑みれば、満々と輝く朝日が昇り始めていいはずの朝は、きのうに続いてまたもや雨模様である。わが感慨は、「秋」を忘れている季節、の思いひとしおである。
 10月になってきょうで十日、最も好季節であるはずの10月初旬は、とうとう季節忘れをこうむってしまった。あす以降の気象情報は聞いていないけれど中旬は、まずは初旬の罪償いを望むところである。そしてそののちは、本来のゆるぎない晩秋の好季節を存分に振舞ってほしいものである。そうでなければわが不断の自然界賛歌は、おのずから色褪せて打ち止めとなる。寒気だけは季節どおりだけに現れているだけに、このところの悪天候には余計腹が立っている。年老いてすがるのは、無償で得られる自然界の恩恵がイの一番である。
 もっと具体的には、天変地異なき日本晴れである。日本晴れであっても、秋天高い晩秋の日本晴れほど胸の透くものはない。確かに、冬晴れの日本晴れもさわやかだけれど、ところがこれにはわが嫌う寒気がともなっている。初冬の小春日和もいいけれど、しかしこれは、一日ないし二日の賞味期限付きである。期限が尽きるとこんどは、肌身にいっそうの寒気をおぼえて、それに慄くこととなる。こんなことを胸中に浮かべているとやはり、肌身に心地良い晩秋の日本晴れに勝るものはない。とりわけ、現行のきのうの「スポーツの日」(10月9日・月曜日)、そしてかつてのきょうの「体育の日」には、満天大海原とまがう日本晴れを望んでいた。しかしながら、自然界の人間界への悪戯かいや怨念なのか、この望みは叶えられなかった。つくづく残念無念である。
 挙句に起き立ての私は、きのうに続いて二番煎じの文章を書いている。いくらネタ不足とは言え、この文章にさら駄文を重ねるのは、生き恥晒しであり、ここで書き止めである。こんな文章を再び読んでくださる高橋弘樹様には、心して詫びるところである。