寝起きの「繋ぎ文」

 10月8日(日曜日)、どんよりとした曇り空の夜明けにある。私には、きょうの天候が気懸りである。寝起きの私は、寝坊助を被り、慌てふためいている。二日坊主にはなりたくなくて、パソコンへ向かっている。ゆえに文章は、しっちゃかめっちゃかである。
 風邪薬を服用し就寝したせいか、副作用が効いて熟睡に陥り、目覚めが遅くなり起き出している。不断の私は、二度寝にありつけないことを嘆き続けている。このことを鑑みれば、棚ぼたの副作用効果であり、大いに歓迎すべきことである。しかしながらやはり、文章を書くうえでは喜べず、慌てふためいている。
 頃はあすの「スポーツの日」(10月9日・月曜日)を前にして、晩秋一番の好季節にある。この証しに日本列島のあちこちにはきょうあすに、運動会や体育祭が行われという。実際には実施日明けのからだ休めを狙って、多くはきょう行われるようである。確かに、わが町にあってもきょうは、市民体育祭が予定されている。観覧へ出かけるつもりはないけれど、きょうの天気が気になる夜明けの曇り空である。観覧はおぼつかないけれど、新型コロナウイルス騒動が一応収まった証しとしては、うれしさあふれる体育祭である。少しずつ日本社会は、新型コロナウイルスの呪縛から逃れて、平常いや日常生活に戻りはじめている。
 こんなことを書いていると、あらためてロシアとウクライナにおける、泥沼戦争の帰趨が気になるところである。為政者のメンツはいつまで、無辜の市民を巻き込むのであろうか。戦争が終わり、世界平和が待たれるところである。
 きのうの夜の私は、公式戦を終えた阪神タイガースのテレビ観戦に代わり、バレーボールの日本男性チームの試合をテレビ観戦した。この試合において日本チームは勝利し、晴れて来年の「パリオリンピック」の出場権を確定したのである。私は喜びに浸った。
 この文章は二日坊主を断って、三日へつないだだけのものである。それでも私は、こころ安着気分にある。それほどにこのところの私は、文章の継続に右往左往を強いられている。もとより、こんな書き殴りは、文章とは言えない。約30分の時が過ぎて、曇り空を蹴散らし、朝日が昇り始めている。「天恵、様様」である。