oosawa

タレント日記

2022年2月4日(木) 《復活!! キッチン庭園?!》

以前は、観葉植物ばかりのキッチン庭園だったのですが、次々と枯れてしまい、今では、ガジュマル(画像高い位置にある観葉植物がそうです)だけが長期にわたって生き残っているのみでした。 昨年の、作家で現代文藝社代表大沢久美子先生の同社掲示板御投稿の...
ひぐらしの記

立春

寒気を遠のけて、よちよち歩きの春が来た。それでも、確かな春の足音である。庭中の梅の木の蕾は、ほのかに綻びはじめている。同時に願っていたわが家の春は、いまだ蕾にはなりきれず、それ欲しさにせっせと途中を歩いている。しかし、いっときの暗闇は抜けて...
ひぐらしの記

「一日多善」

学童の頃にあっては何かにおいて、「一日一善」を目標に掲げていた。すると、この目標は主に、家事手伝いで叶えていた。これには、子どもなりの魂胆があった。それを果たすと母ちゃんは、坊主頭をなでなでして、「とても、ありがたいばい!」と、言ってくれた...
ひぐらしの記

華の兄弟・惜別

限りなく惜しむにあって、多言は要しない。けれど、胸中には尽きることなく、称える言葉が浮かんでくる。出色、花形、人気。そして英傑、などなど。二人して一世を風靡、すなわち昭和時代を華やかに彩られた文字どおりの「華の兄弟」にあって、兄・慎太郎氏が...
ひぐらしの記

二月一日

今や寝床は歩んで来たわが人生行路を振り返る、悲喜交々の回り舞台と化しています。おのずから寝床は、安眠を貪る安らぎの場所ではとうにないです。寝床の中では、神社仏閣の境内で走馬灯が回るかのように、いろんなそしてさまざまな過去劇が洪水の如く、わが...
ひぐらしの記

夜は長い

十二月十二日(日曜日)、4:34。目覚めた。生きている。起きた。パソコンを起ち上げた。頬杖をついている。書けない。止めよう。現在の心境である。 世の中は、年の瀬にある。何も用事はない。だから、焦ることはない。しかし、忙しい気分である。やはり...
ひぐらしの記

睡眠薬を買えば、済むことだが…

癖になりそう。いや、すでに悪い癖になっている。もう文章は、書きたくない。こんな文章は、書きたくない。十二月九日(木曜日)、きょうもまた真正の真夜中、すなわち一時近くに一度目覚めて、二度寝にありつけなかった。数えるにはばからしいほどに、何度と...
ひぐらしの記

真夜中の迷い文

眠いのに、ああー、眠れない。仕方なく、起き出してきた。十二月八日(水曜日)、長い夜にあっては真夜中とも言える、1:33、と刻まれている。目覚めて寝床の中で、こんなことをめぐらしていた。頭脳は凡庸(ぼんよう)、顔は醜面(しゅうめん)、体躯は寸...
ひぐらしの記

身に沁みる「苦悩」

十二月七日(火曜日)、いまだに夜明け前にあって、きょう一日の始動のために、寝床から抜け出してきた。幸いにも、きのう身に堪えていた寒気は緩んでいる。だから、泣き言は免れるかと言えば、そうは問屋(とんや)が卸さない。なぜなら、寒気の有無にかかわ...
ひぐらしの記

生存のための手入れ

十二月六日(月曜日)、起き出してきたけれど、寒気が身に堪えている。自然界のまともな営みゆえに、もちろん我慢するしか能はない。きのうの昼間、茶の間のソファに凭(もた)れて、窓ガラスを通しのんびりと外景を眺めていた。このところ続いている、自然界...