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ひぐらしの記

途中経過の悲しみ

これまでの私は、意識して新型コロナウイルスにかかわることは、できるだけ書くまいと、肝に銘じてきた。なぜなら、このことにかかわることを書き連ねれば、気分の晴れることはない。 人類社会は、今なお収束の見えない新型コロナウイルスとの戦いのさ中にあ...
ひぐらしの記

延長戦続く、新型コロナウイルスとの闘い

どこまで続く、泥濘(ぬかるみ)ぞ! 人間社会の穏やかな日常が、始末に負えない新型コロナウイルスのせいで、日々砕けてゆく。東京都、京都府、大阪府、兵庫県の四自治体は、きょう(四月二十五日・日曜日)から、三回目となる「緊急事態宣言」の開始となる...
ひぐらしの記

夜明けは、いつもの好天気

四月二十四日(土曜日)、今朝もまた遅い起き出しである。いつもであれば文尾に書いている朝日の模様を、きょうは冒頭に書いてみる。似たり寄ったりの文章に、姑息な手段で変化をもたらすためである。 夜明けの空は、すでに朝日に明るく染まり、大気と地上は...
ひぐらしの記

「生きるために食べている」

四月二十三日(金曜日)、こんな書き出しはどうでもいいことだけれど、今朝の私は「おさんどん」を先に済まして、階段を上がってきた。このことではこのところ続いていた寝坊助による心の焦りはなく、ゆったりとした気分には、ほんのりと余裕さえ感じている。...
ひぐらしの記

「目覚めの、嗚呼、無情」

確かに、寝坊助が常態化している。四月二十二日(木曜日)、これまたこのところ定番化している表現である。それはこうである。すでに、朝日が煌々と輝いている。すなわち、夜明けはとうに過ぎている。今さらながらに私は、目覚めて寝床の中で、心中にこんなこ...
ひぐらしの記

山は緑、ウグイス鳴く

四月二十一日(水曜日)、起きて窓ガラスを覆うカーテンを開ければ、新緑まぶしい季節にある。これにわが起き待ちのウグイスが喜んで、澄明(ちょうめい)な鳴き声を高音(たかね)で奏でてくれる。小鳥の鳴き声の表現の定番には、囀(さえず)るという、もの...
ひぐらしの記

晩春の目覚め

四月二十日(火曜日)、今朝もまた寝坊助に陥り、慌てて起き出して来た。しかし、寝ぼけまなこではなく、瞼はすっきりと開いている。すでに覚悟を決めたせいなのか、文章執筆にたいする焦燥感は遠のいている。夜明けの陽射しは、昼日中とまがうほどに煌々と輝...
ひぐらしの記

寝坊助は、わが宝物

四月十九日(月曜日)、今朝もまた寝坊助。このところ常態化しいて、もはや焦燥感はない。いやむしろ、余裕の起き出しである。起き出しの心に変化をもたらしているのは、二度寝ができないことで、悶々としていた頃がよみがえるからである。そのときに比べれば...
ひぐらしの記

愚痴こぼし、諦念

「ひぐらしの記」において私は、常々愚痴こぼしが尽きない。わが生来の性癖につきまとう、確かな悪癖である。だから、防ぎようのない恥晒しと、自認するところである。恥晒し打ち止めの唯一の便法は、もとより文章書きの打ち止めである。ところが、これを実践...
ひぐらしの記

嗚呼、ああ……

書くこともない、書きたいこともない。年を取るということは、こうもつらいものかと感じている。すなわち、自分が年を取れば優しい、身内、友人、知人、すべてが年を取る。それが身に染みて、心に沁みてつらいのである。 こんな下種(げす)な文章を書いたと...