卓球クラブの練習から、一年強にわたり遠ざかっていた。さまざまな要因で、気分がすぐれなかったせいである。いまだ気分に、平常心はないけれど、ここ二、三度、行ってみた。そして、鈍っている身体のみならず精神を解すと、確かにかなりの精気の戻りにありつける。ところがこの先、練習への参加は続きそうにない。それはやはり、卓球好きの妻を茶の間に残して、ひとり行くことには忍び難い思いがあるからである。また、介助役特有の様々な用事もある。なんだか、妻のせいにしているようだけれどもちろん本意ではなく、つまりはわが気分の落ち込みのせいである。すなわち自業自得、わが克己心欠落のせいである。
おのずから、文章を書く気分が萎えている。ところがふるさとには、なさけない私を救ってくれる身内がたくさん実在する。はるかに遠いふるさとから届く、実際の処方箋は「ふるさと便」である。広くふるさと便には、電話、手紙、メール、そして宅急便などと、人情の醸す便法がある。そしてこれらは、どれでも訃報でないかぎり、すぐさまわが落ち込んでいる気分にカンフル剤を打ってくれる。それでも欲深い私には、まことに身勝手ながらやはり、大きな段ボール詰めの宅急便こそ、ふるさと便の王座や玉座に位置している。きのう届いた宅急便は、まさしくふるさと便の王位であった。なぜなら、大きな段ボール箱を開けると、いつもとは違って購入物は一切見あたらず、すべてが姪っ子の手作りと、苦しい農作業がもたらした産物だけが詰まっていた。確かにそれらは、わが好物を知り尽くしての、至れり尽くせりの品ばかりだった。
今ではたったひとりの次兄を残すのみとなっているけれど、私は大勢のきょうだいに恵まれたブービー生まれである。しんがりに生まれた唯一の弟は、誕生十一か月の幼児のおり、わが(四歳半ころ)子守のミスで、あたら命を絶った。わが生涯につきまとう悔恨である。兄、姉たちは、みな優しかった。その優しさは子どもたちに引き継がれて、現在ふるさとには多くの甥っ子や、姪っ子が実在する。そして彼らが、入れ代わり立ち代わりをなして、ふるさと便の送り手(送り主)へとなり替わっている。実際には彼らが、わがおふくろの味や、ふるさとの味の後継者役をになってくれているのである。
きのう届いたふるさと便では、おふくろの味と思えるものでは、姪っ子手作りの「ごぶ漬け」があった。これは、干し大根を醬油漬けにしたものである。ふるさとの味と言えるものでは、これまた姪っ子手製の「干したけのこ」が詰まっていた。どちらもいっぱい、文字どおりたくさんである。これらのほか畑作ものでは新玉ねぎとアスパラガス、田んぼのものではズバリ、米が重たく詰まっていた。これだけ詰めると大きな段ボール箱ではあっても、もはや購入物の入る隙間はなく、自作のふるさと便一辺倒だった。このため格別、私は姪っ子の優しさにうっとりとして、それぞれの品にかぎりない郷愁をつのらせていたのである。
先日、甥っ子が送ってくれた三つ玉の西瓜は、いまだに食べきれないままにある。まさしく、「ふるさと便」の共演さながらである。ふるさと便の送り手は、ほか数多いる。そして彼らは、名医の如くに落ち込んでいたわが気分を癒してくれるのである。きょう、途絶えていた文章がようよう書けたのは、ふるさと便から賜った恩恵、すなわち効果覿面のカンフル剤だったのである。ふるさと便は、私には「精神科医、要らず」である。五月十九日(木曜日)、のどかに朝ぼらけの夜明けが訪れている。