掲示板

大沢久美子撮影

古閑さんちのお庭

 小さくたたずんでいる慎ましやかな花々もいいですね。冬枯れの庭に心が癒やされます。真ん中の花はクリスマスローズですね。私の庭では、昨年あまりに葉が茂っていて、いさぎよく切ってしまったら、怒りに触れたのか、今年は花が見られません。

♪古閑さんへ『庭の花』の感想です♪

古閑さん邸の庭には、すでに春が到来していますね(^^)
スイセン、黄色いスイセンは、ラッパスイセンでしょうか?
ムラサキ色の花は、この掲示板の冒頭を飾っている花と同じスミレでしょうか?
これからの花々も楽しみですね♪♪♪

節分と福豆

2月3日(土曜日)、未だ真夜中とって言い頃にある(2:36)。パソコンを起ち上げる前に、外していた眼鏡を耳に掛けると、枠が冷たくてゾッと身振りをした。それでも季節は、しだいに寒気が遠のく春の「節分」を迎えている。人生の晩年を生きる私は、必ずしも節分待望者ではない。しかしながら一方、寒気を極端に嫌う私は、節分を秘かに望んでいた。なぜなら節分は、確かな季節の屈折点である。寒気はまだあるもののそう思うだけでも、現在のわが気分は和んでいる。豆まき用の豆は、妻が近隣の「鎌倉湖畔商店街」に総菜屋を構えている「おふくろさん」から、すでに買って来ている。妻は「鬼は外、鬼は外、あなたは外、…」という掛け声とともに、炒り豆をわが身に投げつけるであろう。普段のわが介助ぶりに飽き足らず腹いせまじりに妻は、豆をいくつ私に投げつけるつもりであろうか。豆袋の表示には「福豆」と記されている。私がいっとき痛さを我慢すれば、妻いやわが家には、幸福が訪れるのであろうか。そうであれば、バンバンかつ強く投げつけてほしいものだ。日々衰えてゆく妻の体力は、いくつぐらいの投げつけに耐えられるだろうか。いっときの演技者になって大袈裟に逃げ回るわが足とて、ヨタヨタで心許ないものがある。わが家の豆まき光景は、年年歳歳、切なく、寂しくなってゆくばかりである。なぜなら豆まき一つに、互いの衰えぶりが浮き彫りになる。もとより豆まきは、歳時(歳時記)にのっとったおまじないである。その証しに震災被災地にあって去年の豆まきは、何らのご利益ももたらしていない。去年の節分にあっては、震災被災地のどこかしこの御宅でも、家族そろっての豆まき光景があったはずである。ところが、豆まきはおまじないにすぎずご利益なく、自然界は震災というひどい仕打ちをした。だとしたら震災被災地および被災者の難渋をおもんぱかって今年の豆まきはおのずから、わが家にかぎらず神社仏閣のすべて、自制すべきなのかもしれない。なぜなら、日本列島の各地からもれ伝わる「豆まき便り」は、震災被災地および被災者にとっては、あまりにも惨たらしい悲しい便りであろう。すなわち、震災被災地および被災者にとって今年の節分は、去年とは様変わり身も心も凍えるものとなっている。恵方巻(巻き寿司)で縁起のいい方角を覗いたところで、もとより食欲を満たすだけのおまじないにすぎない。きょうの私は、すでに買い置きの福豆は仕方ないけれど、商魂の渦に引き込まれて、巻き寿司を買うつもりは毛頭ない。わが自制、いやご利益のない銭失いを避けるためである。このところの私は、気張って文章を書いている。このことはきのうの文章にも書いたけれど、すなわち、わがしでかした二か月余の文章の頓挫の償いと、わが怠け心にたいする自己発奮を促すためでもある。ところが、駄文はおのずからいたずらに長くなり、挙句、掲示板上のカウント数は漸減傾向にある。それゆえにきょうは、心して短い文を書こうと決め込んでいた。ところがまた、だらだらと長い文章を書く、体たらくぶりである。そうであれば尻切れトンボを恥じず、ここで結文とするものである。妻がいくつか投げつける福豆を指先で一つ一つ拾って、わが口に運ぶであろう。こんなケチ臭い行為ではおのずから、私にそしてわが家に幸福が訪れるはずはない。いまだ時刻は、真夜中同然である。私は、だらだら文に付ける表題を浮かべている。

庭の花

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 縁側から冬の様相を呈している庭を見ていたところ、ちっちゃな花がわずかに咲いていました。

待ち遠しい春

 古閑さん、本当に春が待ち遠しいです。母が「陽だまりに一塊のスミレかな」と生前詠んでいた句を思い出して、掲示板に掲載しました。

寒気に震えて、ほろ苦い文章

2月2日(金曜日)。やはり、すんなりとは暖かくならない。私は、寒気が戻った夜間に身を置いている。多くの人たちはスヤスヤと眠り、安眠と熟睡を貪っている時間帯(2:57)にある。このところの私は、執筆時間を意識して夜明け前からから、かなり前倒しにしている。もちろんこの先、このあたりの時間に定着することはなく、やがては「元の時」へ戻ることとなる。執筆時間が前倒しになり、そのぶん余裕が生まれている。しかし、無意味な余裕かもしれない。おのずから、文章は無駄に長くなる。確かに、夜明け前に書くことと比べれば、時に追われて慌てふためくことは免れる。ところが、その返り打ちに遭って文章は、だらだらと長くなる。私は再始動に就いた以降の文章には、二か月余の空白をしでかした自分自身への償いを課してきた。さらには、怠け心を戒めるために自己発奮を促してきた。挙句、この間の私は、いたずらに長文を書いてきた。きょうもまたここまでは、何らかのネタを心象に誘い込むための序章にすぎない。わが凡愚は、ほとほとなさけない。さて私は、自分自身にたいしてこんな問いを投げかけている。そして、正答とは言えないまでも、合格点すれすれの答えを用意している。なさけないどころか自分自身にたいし、(おまえ、バカじゃなかろか…)の心境にある。問いの一つめは、季節めぐりの早さの証しは、どんなことで感じるのか?。その答えは有象無象あるけれど、その多くは自然界現象で感じている。ごく身近なところで最も早く感じるものでは、庭中の雑草の一年めぐりの萌え出しがある。これこそ一番だ! という思いは、確かに一番、手を焼くせいであろう。問いの二つめは、日めぐりの早さの証しは、どんなことで感じるのか?。これにもまた、無数にある。それらの中からこちらは二つを上げれば、一つは三度の食事の早めぐりである。そして一つは、ひと月ごとに訪れる、常備薬をもらいに出かける日めぐりの早さである。これには常に、嘆息まじりのこんな声出しがともなっている。「あれれ! もう、薬がない。もう、一か月が過ぎるのか。日にちが過ぎるのは、なんでこんなにも早いんだ…」。そのたびに私は、掛かりつけの病医院をかえて、渋々出かけることとなる。そしてこれには、処方箋代と薬剤費が付き纏う。それゆえであろうか、このときの日めぐりの早さは、とことんわが身に沁みている。心中に浮かんだこれらは、季節のめぐりそして日めぐりの早さ共に、常々いたくわが強く実感するものである。こんな文章は眠気眼と朦朧頭で、さらには夜中の寒気に身を置いてまで書く価値は毛頭ない。こんなことしか浮かばなかった、わが身は哀れである。ならば、自愛するのみ! 早くなっている夜明けはまだ先にある。

寒気を脱し、春の訪れを告げる2月

2月1日(木曜日)。安眠と熟睡にありつけず、真夜中にあって、起き出している(1:36)。この先には睡魔に襲われて、つらい夜になりそうである。きのうの昼間は気象予報士の予報に違わず、地上にはポカポカ陽気が降りそそいだ。私はコートなどの防寒装備まったく無用に、妻と共に逗子海岸にあるファミレスへ出かけた。ここで予定されていたのは、娘そして妻の里を守る義姉と義兄相揃っての誕生日食事会だった。つごう5人が集う、合同の誕生日祝いの実際の該当者は、娘と義兄に二人だった。まったくの無償にもかかわらず、この世で一番ありがたく思えるものは「日光」である。そして二番目は「月光」である。逆に、この世で一番うれしくないものは「地震」であり、そして二番は、豪雨をともなう「台風」である。わが家の屋根は一度、台風に吹き飛ばされて、甚大な被害を被ったのである。日光の恩恵は、昼間だけとはかぎらない。夜間にあっても、光こそ見えないけれど、十分にわが身体、地球を暖めてくれている。その証しに現在は、まったく暖房器具(暖房費)要らずの、暖かい夜に恵まれている。その証しに指先に冷えはなく、心身は寒気に委縮してもいない。それゆえに現在の私は、普段とは違って快調にキーを叩いている。いつもどおり私は、光線なくても「太陽礼賛」しきりである。月は替わりきょうから2月、そして季節は、一足飛びに春へ向かっている。いや実際には一足飛びには向かわず、三寒四温を繰り返して確かな春へ向かってゆく。幸いなるかな! きのうの文章は、恐れていた「遺稿」を免れ、かつ「ひぐらしの記」は、きのうで断絶(絶命)という「命日」にはならなかった。その意味では出来不出来にかかわらず、この文章はありがたく、飛び切り貴重でもある。なぜなら、1月末日で途切れず、2月初日へ繋いだのである。わが文章書きは脳髄の凡庸のせいで、来る日も来る日も苦悩を強いられている。だから、文章書きを投げ出してしまえば、私はすぐさま苦悩から免れること請け合いである。ところが優柔不断の性質の私は、これまでそれさえできずに挙句、何度こんな繰り言を続けてきたであろうか。わが小器、お里の知れるところである。2月初日、例年の習わしにしたがって私は、机上の卓上カレンダーをじっと見つめている。月替わりは、大晦日ら元日を含めれば、1年に12回訪れる。それらの中では私の場合、気分が最もワクワクするのは、1月から2月への月替わりである。たぶんそれは、寒気を脱して暖かい春へ向かう季節変わりに、わが胸がワクワクするからであろう。確かに、カレンダー上の2月は例年、わが気分の高揚感を露わにしてくれている。今年の2月は閏月で、平月の28日に1日を加えて、29日の日増しになっている。それでも2月は短い月である。ところがこのなかで、国民休祭日が二回もある。一つは「建国記念日(2月11日・日曜日)」にとなう「振替休日」(2月12日・月曜日)、そして一つは「天皇誕生日」(2月23日・金曜日)である。ところが、毎日が休日のわが身に私にはさしたる感興はない。2月のカレンダーにあってはやはり、この二つに気分のワクワク感がほとばしる。一つは「節分」(2月3日・土曜日)であり、そして一つは「立春」(2月4日・日曜日)である。これらに準ずるものでは多少縁のある建国記念日がある。なぜなら、わが夫婦の「結婚記念日」は、時を違えてこれに重なっている。もう一つは今ではまったく無縁だけれど、勤務時代の義理チョコの甘い思い出がよみがえる「聖バレンタインデー」である。寒気はいまなおまったく感じず、指先快調に書き殴り、未だに2:43である。中身は何のとりえもなく、いたずらにカレンダーの移し書きにすぎなかった。けれど命日を免れて、2月へ繋いだ文章には可愛さが溢れている。世の中のご多分に漏れず、「できの悪いもの」ほど、可愛いものはない。

歳月と季節は早やめぐる、もう1月末日

1月末日(31日・水曜日)。現在(デジタル時刻2:42)、寒気はこころもち緩んでいる。気象予報士の予報によればきょうの昼間は、春日のように暖かくなると言う。庭中の梅の花は健気に綻び、寒椿は凛々しく咲いている。物心ついて以降こんにち(83歳)にいたるまで、私は見栄えのする「梅にウグイス」の光景を願ってきた。ところがそれは叶わずじまいで、あの世へ旅立つことになりそうである。ところが一方、「椿にメジロ」は、この時期にあっては日々眺めて、私はその光景を十分に堪能している。メジロはウグイスより、はるかに美形でなおかわいらしい小鳥である。そしてその色合いは、椿の紅い色とメジロの萌黄色がコントラストに映えて、確かに見た目にもこよなく美景である。メジロの囀りはウグイスに負けるけれど、そのぶん風姿ははるかにメジロが勝っている。だからあえて、仮想の「梅にウグイス」など望まなくても、現実の「椿にメジロ」で十分、私には絵になる光景である。私はその光景を茶の間のソファに背もたれて、日々眺める幸福者である。老いの身にあっては、いくら感謝しても、感謝しきれないひとときである。歳月や季節は脱兎のごとくとは言えないまでも、まるでカエルのごとくピョンピョンと跳ねてめぐってゆく。つれて、寒気が遠のくことは、素直に喜ぶべきことなのか。いや、不断の思いとは異なりきょうにかぎれば、老いの身には恨めしいつらい仕打ちである。新年(令和6年・2024年)になって早や、きょうで1年・12か月のうちのひと月が過ぎる。まさしく、「光陰矢の如し」である。老いの身の私は、またまた嘆息しきりである。結局、私は何かにつけて嘆きながらまもなく、この世から身を隠すこととなる。そうであれば私は、悪あがきあるいは「年寄りに冷や水」と、嘲られようとも無為にあの世へ行きたくはない。私は、再び一念発起を企てた。ところが、わが一念発起などしれたものの、蚊の鳴く程度のものである。実際には新年を機にして、二か月余絶えていた文章の再始動を試みたにすぎない。ところがこの間は、1日も空けずにきょうの1月末日へ辿り着いている。怠け心をしばし忍んで、われながらあっぱれである!。一方では、もとより叶わぬことだけど、カレンダーの日めくりは、きょうで打ち切りにしてほしいという思いもある。しかし、歳月はあすから2月へめぐり、季節はほどなく春へ移ってゆく。ところがわが文章は、それらに連れられて一緒に進むとはかぎらない。なぜなら、三日坊主と意志薄弱共に抱き合わせのわが性癖(悪癖)にあっては、常に頓挫と挫折の憂き目が付き纏っている。生身、いやわが老いの身にあっては、すでにへこたれている。それゆえに私は、きょうがわが文章の途絶え日、すなわち命日にならんことを願っている。いや、思いあがって強気に、命日をくつがえし、この先への続行を決意している。しかし、まったく心許ない決意である。現在(3:41)、ぶり返しはなく、寒気は緩んでいる。素直に、喜ぶべきか。いややはり、老いの身にはすんなりとは喜べない、歳月と季節の早めぐりである。

二日続きの、嗚呼、ああ…

1月30日(火曜日)。83歳のわが身には、「また、あしたね…」という、言葉は存在しない。この一行はきのうの文章で、きょうへの継続を恐れて用いたものである。ところがどうにか、パソコンを起ち上げて私は、(さあ、書くぞ!)という、心構えと態勢を講じている。時々、怠け心に襲われてわが文章は、長いあいだ書いて来ても未だに、ルーチンにはなり切れていない。悔しいと言うより、はなはだ残念無念である。定年後を見据えて私は、六十歳間際から文章の手習いを始めていた。そんなおり、突然の私からの電話を通して、懇意を得ていた大沢さまは、あるときこう言ってくださった。「前田さん。何でもいいから書いてください」。心根の優しい大沢さまは私に、手習いの実践の場を与えてくださったのである。私は「何でもいいから」というお言葉にすがりつき、おそるおそる書き出した。思いがけなくすぐに、わが専用のブログが現れ、ブログには『ひぐらしの記』と、命名されていた。たちまちわが心中には、うれしさと恐ろしさが同居した。同時に私には、(すぐには止められないな…)という、気負いと責任感が芽生えた。のちにブログには、竹馬の友・ふうちゃんが撮った、ふるさと「内田川」の情景が添えられた。ブログを開くたびに私は、しばし郷愁に浸った。同時に私には、「もはや『ひぐらしの記』の頓挫はできないな!」という、思いがいや増したのである。過去文の繰り返しを長々と書いたけれどここまではまた、わが心中になんらかのネタを呼び出すための序章にすぎない。起き立ての私は、いつものようにネタ探しに躍起である。すると、ようやく浮かんできたのは、書かずもがなの碌でもないネタもどきである。熟語「生涯」の成り立ちは、文字どおり「生まれて、涯てる」までの期間である。これに付き添う主語は「命」である。だから生涯とはズバリ、命の存在する期間である。それゆえに命の期間は、しばしば一筋の道に例えられる。換言すれば命の歩く道は、これまたズバリ「人生行路」である。人生行路は、道々に棘(トゲ)ある「茨道」である。赤ちゃん、幼児、児童、生徒の頃は、親に庇護されて歩くゆえにすがれば、どうにか歩けるところがある。ところが、ここを過ぎれば独り立ちにともなう、いくつかの茨道、あるいは分かれ道に遭遇する。先ずは就活、次には婚活、そして生計を立てる文字どおりの生活、人生の終末にあってはこれまた、文字どおりの終活が訪れる。こんなどうでもいいことを書いて、継続の足しにしている私は、精神異常をきたしているのであろうか。ところが、幸いにも私には自覚症状はない。診断は大沢さま、そしてご常連の人たちへ委ねるところである。なんだか、心侘しい夜明けである。