坂本弘司撮影 7月19日(金曜日)。気象庁の梅雨明け宣言翌日後の晴れた夜明けが訪れている。きのうは棚ぼたの僥倖と思える好日に恵まれた。その事実を併記し、「自分祝い」を試みている。一つは関東地方においては、梅雨明け前特有の大雨による被害(大過)なく、スムースに梅雨が明けたことである。そして一つは予告なく、東電がわが掃除区域の架線に絡む高木の幹や枝葉を切り落としてくれたことである。私にとってこの作業は、人間神様とも思えるほどにうれしいものだった。切り落されたところは、頭上に見上げる山の中ではほんの一部にすぎない。しかしこののちは、道路上に落ちてくる枝葉を大きく減らしてくれることは確かである。私はありがたさとうれしさのあまり、しばし佇んで作業に目を凝らしていた。実際の作業は、それようの超大型の貨物トラック、ゴンドラ付き起重機などを持ち込んでなされていた。時間的にも朝早くから、午後の三時過ぎあたりまで行われていた。作業員は男性の4,5人だった。この間、私はわが家から時間をみはらかって、三度ほど現場に出向いて、丁寧にお礼の言葉を述べた。私自身、かなり異常な行動・行為に思えていたけれど、そうしないではおれないほどに、感謝の気持ちが湧きたっていたのである。作業の終いにはさすがに東電、切りっぱなしではなく、道路をくまなく箒で掃いて清めていた。起き出して来て窓ガラスを開けて道路を眺めると、いつもに比べて落ち葉は少なく、ゆえに道路の掃除を免れて、この文章にありつけたのである。切り落した高木の切り口は、あちこちで生々しく、朝日に光っている。まったく久しぶりに、気分の好い夜明けである。高橋弘樹様が褒め称えてくださった善行が、ちょっぴり日の目を見たのかもしれない。本格的な夏の陽射しの訪れも、きょうだけは厭わない清々しい、梅雨明け後初日の夏の朝である。棲みかを突如奪われたウグイスに気を揉んでいたけれど、ウグイスはいつもの朝のように朗らかに鳴いている。 いやあーー!! 立派なキュウリ、2本ですねーー◎◎ いつでも道路掃除をなさろうとされる前田さんの善行は素晴しく思います☆☆ 前田さんのおっしゃる通り、西日本〜東日本は、この週末にかけて続々と梅雨明け予定ですね!! 7月18日(木曜日)。いつもより遅く目覚めて、そのうえに悪夢に魘されて、気分が鬱に陥り文章は書けない。そうであれば道路の掃除へ向かおうと、窓ガラスを開いて道路を見た。道路は生渇き状態にあり、掃こうと思えば掃けないことはない。ところが、こちらも時間的に出遅れて、今から出向いても散歩常連の人たちは、すでに歩き去っている。それらの人たちに出遭えなければ、掃除は苦痛だけで愉しみは殺がれることとなる。だからやむなく、道路の掃除は昼間へ延ばしてこの文章を書いている。しかしやはり、こちらもこのお先は書けずじまいである。わが現在のなさけない心象風景である。だけど、せっかくだから一つだけきのうの続きを書けば、このことが浮かんでいる。今朝の夜明けの空は、いまだ梅雨空である。ところが、きのう耳にした気象予報士の天気予報によれば、日本列島の各地方は、今週末あたりから続々と梅雨明けになりそうである。関東地方もこの範疇に入りそうである。このことだけを記し、気分の悪さを言い訳にして、結び文とするものである。表題のつけようのない、切ない文章である。 7月17日(水曜日)。夜明けの薄明りの下、雨は止んでいるものの、夜来の雨が残したばかりの跡が、くまなく道路を濡らしている。隅々には、濡れ落ちた木の葉が汚らしくべたついている。起き出して来て、窓ガラスを開いて、道路を眺めたときの原風景である。今朝は、道路の掃除はできないと腹を決めた。ゆえに、心を鎮めてパソコンへ向かっている。いや、鎮めきれてはいない。一方では、こんな気分に苛まれている。すなわちそれは、道路が乾いた後に急かされて掃く、面倒くささと気分の鬱陶しさである。梅雨の季節の雨は、まもなく消費期限が切れる頃にある。期限が切れて、気象庁の梅雨明け宣言は来週あたりであろうか。それとも豹変し、今週末あたりになるのであろうか。こんないい加減な自己観測は、気象予報士の予報を観ていない祟りと言えそうである。日本列島のあちこちでは、すでに梅雨明け前特有の大雨による災害(被害)が報じられている。それなのにすでに梅雨明け宣言を受けたのは、沖縄地方だけに限られている。なんだか日本列島は、自然界(気象)に小馬鹿にされている感じである。もう十分に梅雨明けの証しとなる雨は降り、それによる災害はもたらされている。もしかしたら、関東地方だけがまだ降り足らないと、気象が駄々をこねているのであろうか。きのうのテレビ映像には、「京都・祇園祭の大雨」状況があった。京都の街は、大雨による人出の大混乱ぶりを見せていた。この映像を観れば、確かにこれまでの関東地方(鎌倉の雨)は、比べようもない小降りである。だとしたら、この先の雨が気になるところである。降りやんでいた雨は、風をともなって降り出している。私は欲深く、災害をもたらす大雨にならないことをひたすら願っている。なぜならわが家は、鎌倉市指定のハザードマップでは、土砂崩れ危険区域にある。 7月16日(火曜日)。「海の日」を含む、三連休明けの夜明けを迎えている。雨降りではないものの、曇天の梅雨空である。きょうにあってふるさとは、7月盆の送り日(火)である。現在、わが生家を守るのは、亡き長兄の長男(甥っ子)とその奥方である。この二人が守っているかぎり、わが心中のふるさと観とふるさと慕情は、尽きることはない。このこともあってきのうの私は、LINEメールで二人にたいし,事前の墓掃除とお盆における、すなわち二度にわたる「迎えと送りの墓参り」をねぎらった。きのうの文章を再び繰り返すと、お盆の最中のきのう(7月15日)は、わが誕生日と母の祥月命日が重なる日でもあった。毎年訪れるこの重なりは、自分的には奇跡とも思える悲しい日であり、あるいは一層うれしい日でもある。さらには盆と重なり、わが誕生日にあっての母は、風雨に晒される野末の石塔(墓)から、4日間の限定にすぎないとはいえ、わが家に帰ってくるからである。しかしながら母は、姿無き御霊として仏壇に祀られ、無言で居座っているにすぎない。仏壇のある座敷には数多くの盆提灯立ち並び、さらに何本かは天井から下がり、仏壇にはロウソクの火が灯り、線香の臭いがしていたはずである。母の生存中にあって、母が取り仕切っていたよみがえる盆の原風景である。きのう私は、年齢を一つ加えて84歳になった。たった一つだけにすぎないのに84歳になると、まるで大きな岩石みたいに重くわが心身を脅かしている。挙句、このときから私は、極度の寂寞感に苛まれている。それゆえにきょうは寂寞感に負けて、端から文章を書く気が殺がれていた。ところがそれを覆していただいたのは、高橋弘樹様から賜った「祝、誕生日メッセージ」である。高橋様にかぎらず人様からさずかる善意を無為・反故にすれば、私はもはや「生きる屍」である。時の流れは年数を加え、人の命は年齢を加えてゆく。つれて確かに、寂寞感はつのるけれど、じたばたしてもしようがないと、思うしかない。きのうの私は、日本列島のあちこちに住む甥っ子と姪っ子にたいして、こんなLINEメールを送信した。「きょうは84歳の誕生日です。自分お祝いのために、今、独りで、鎌倉市大船の街のお店で、童心に返り大好きな千円かき氷を食べています」。1000円のつもりで注文したかき氷はなぜか? レジでは1210円を払わされた。かき氷の美味しさは、子どもの頃の「相良観音様」の参道で、5円硬貨を払って食べたものに負けていたのである。 前田さん、お誕生日おめでとうございます。 早朝の道路清掃、1時間半もたいへんお疲れさまでございました。 前田さんの善行は、前田さんの御母様も御釈迦様も御覧になっています。 リアルタイムで投稿できずに、たいへん申し訳ございませんでしたが、ぼくからの前田さんへのお祝いの言葉とさせていただきます。

心地良い夏の朝
♪大沢先生へ『私の畑』1&2の感想です♪
ヘチマは、雄花が咲いて嬉しいところですが、雌花の開花が遅れているとの事で、残念ですが、ぼくのほうは、◎雌花の超スピード開花◎を祈っているところです!!♪前田さんへメッセージです♪
掃除予定を変更して、道行く人々との会話を楽しまれ、☆前田さんのエネルギー&パワー☆にされる心意気も素晴しいです☆☆
梅雨明け後は、連日の猛暑との事で、それはカンベンしてほしい!! と思っているところです(//∇//)切ない文章
季節の雨は、消費期限切れ迫る
すでに、84歳
㊗︎前田静良氏ハッピーバースディ㊗︎
心よりお祝い申し上げます㊗︎㊗︎
ぼくは、家では家庭用として30リットル、仕事では業務用として、90リットルの透明袋を使用していますが、前田さんの清掃では、70リットルの袋がいっぱいになるなんて、相当量の落ち葉ですね!!
本当にお疲れさまです。
必然的に行ないの善い方は、長寿が授けられますので、一般的な平均寿命に惑わされる事なく、☆前田さんの我が道☆を突き進んでいただきたい、と思っております。
祝膳も今後、機会がある毎に、前田さんの周りの方々より用意される事と思います。
用意されない場合は、ぼくが主催しても構わない、と思っております(笑)。








