6月24日(月曜日)。いまだまったくの暗闇。寝床から起き出して来ると、窓辺に近づいて二重のカーテンと窓ガラスを開いた。雨はまったく降っていない。気象庁はきのう、沖縄県と鹿児島県の梅雨明けを宣言した。沖縄県では、太平洋戦争における沖縄戦にまつわる、悲しい「戦没者慰霊式」が行われていた。式模様を伝えるNHKテレビのナレーションに合わせて私は、しばし黙祷を捧げて、目玉に涙を溜めた。「沖縄ではこの戦いで、住民の四人に一人が死にました」。この声を耳にすると、溜めていた涙がこらえ切れずにポタリ落ちた。何ら、役立たずの涙が歯がゆかった。あれれ…、曇り空の夜明けが薄っすらと明け始めている。梅雨明けの沖縄の夜明けはたぶん、朝日輝く夏空であろう。79年前の沖縄は灼けつく夏空の下、抵抗という激戦を続けて、この日(1945年6月23日)に、力が尽きたのであろう。同じ九州地方の熊本県に生まれていた私は、翌月の7月15日に、5歳の誕生日を迎えていた。沖縄で生まれ住んでいれば、四分の一に数えられてわが命はない。だからと言って私には、「命拾い」をしたという思いはない。いや、こんな言葉や思いには罰が当たる。だからせめて、梅雨明けの沖縄の空に向かって、哀悼の心を馳せている。きょうは、書くつもりのこの先の文章は書き止めである。グダグダと書けば、わが心象が汚れそうだからである。命の悲しみには、風化や制限時間などあってはならない。