前田静良

ひぐらしの記

九月最終日

九月最終日(金曜日)、いつものように(万古不易)、夜明けが訪れている。時々刻々、変わるのは人の世である。起きて私は、小難しい成句を浮かべている。生噛りの覚束ない成句ゆえに、電子辞書を開いて復習を試みる。自分勝手なお浚いゆえに、平に詫びるとこ...
ひぐらしの記

カンフル剤は「ふるさと便」

九月二十九日(木曜日)、夜明けは今にも雨が落ちてきそうな、どんよりとした曇り空です。生きて目覚め、起き出して、パソコンを起ち上げています。しかしながら、心象は乱れて、文章が書けません。モチベーション低下のせいです。このところ、生きる気力が萎...
ひぐらしの記

続「通院日」

九月二十八日(水曜日)、半眠りの朦朧頭で起き出してきたため、なさけなくも文章の体をなすものが書けません。そのため、きのうの『通院日』」の続きを殴り書きして、文章を結びます。  診察時間は、予期したとおり三分足らずで済みました。それゆえ、私は...
ひぐらしの記

通院日

九月二十七日(火曜日)、どうやら不順続きの天候は正規軌道へ戻り、地上に穏やかな夜明けを恵んでいる。すると、残るはわが不良体調の良化である。ところが、こちらは未だしである。実際には、夏風邪の尾を引く鼻風邪は、未だに治りきらないままである。気分...
ひぐらしの記

文明の利器の祟り

九月二十六日(月曜日)、起き出してきて夜明けの空をしばし眺めている。朝日こそ見えないけれど、風雨のない穏やかな夜明けにある。どうやらこの先は、秋本来の好季節にありつけそうである。ところが、わが気分は穏やかではなく、なさけなさが充満している。...
ひぐらしの記

ままならず、過ぎ行く九月

九月二十五日(日曜日)、ようやく雨上がりの夜明けが訪れている。しかし、朝日は雲隠れにある。このことではまだ、正常の秋の夜明けとは言えない。九月も最終週にかかっている。それなのにこれまでの九月は、天候およびわが体調共に、すぐれないまま過ぎよう...
ひぐらしの記

表題、無し

九月二十四日(土曜日)、この秋の天候不順は、極めてしつこいところがある。大袈裟に書こう。明けて来る日も来る日も、雨や曇りあるいは雨上がりの夜明けばかりである。今朝もまた、小雨が降ったり止んだりの夜明けにある。これまでの秋の足取りは、まったく...
ひぐらしの記

秋分の日

好季節・秋は、どうしたんだろうか? 「秋分の日」(九月二十三日・金曜日)にあっても、雨の夜明けである。短い期間限定の彼岸花は、さぞかし悔しがっていることだろう。再びの三連休初日にあって、物見遊山を目論んでいる人たちもまた、雨空を仰いで悔しが...
ひぐらしの記

「つまらない秋、盛り」

九月二十二日(木曜日)、今なお私は風邪症状を引きずり、休養状態にある。夜明けて窓の外は、強風が吹き荒れている。これには、一つの恩恵がある。それは、強風すがりの道路の掃除の免れである。なんだか、うれしい悲鳴である。ところが、気分は今なおすぐれ...
ひぐらしの記

台風、来るのかなあ……?

きのうの「敬老の日」(九月十九日・月曜日、祝日)を含む、三連休明けの「九月二十日・火曜日」の夜明けを迎えている。三連休にあって私は、文章書きを休んだ。もちろん、愉快な物見遊山に出かけたためではない。夏風邪が尾を引いて、憂鬱気分に苛まれていた...