ままならず、過ぎ行く九月

 九月二十五日(日曜日)、ようやく雨上がりの夜明けが訪れている。しかし、朝日は雲隠れにある。このことではまだ、正常の秋の夜明けとは言えない。九月も最終週にかかっている。それなのにこれまでの九月は、天候およびわが体調共に、すぐれないまま過ぎようとしている。言葉を替えればなんらなすすべなく、初秋の好季節を台無しにしている。おのずから私は、無念感と焦燥感を募らせている。
 こんななかにあって、いくらか胸をなでおろしているのは、過去の気象データがらみで天災多い月にあっても、これまでは大きな地震を免れていることである。確かに、台風情報には始終おろおろし通しだった。しかし、わが身は免れた。ところが、手放しに喜べるものではない。なぜなら、テレビニュースは、日本列島どこかの台風状況に明け暮れていた。すなわち九月にあって、日本列島のどこかの地方あるいは地域は、台風災害を被っていたのである。やはり人間界は、自然界の猛威には抗えない。大雨の衰えと台風が過ぎ去るのを、身を縮めて願うしかない証しだった。
 一方、九月にあって新型コロナウイルスの感染者数は、幸運にも漸減傾向にある。しかしながらこれまた、手放しには喜べるものでもない。なぜなら、死亡者数は高止まりのままにある。結局、最終週を残しての九月は、あれやこれやとわが気分はすぐれないままに、十月への月替えとなりそうである。特に、夏風邪に続く秋風邪の持ち越しだけは、真っ平御免である。しかし、なお風邪症状を引きずり、本格始動にはありつけないままに、こんな煮え切らない文章でお茶を濁している。一方、肝心要の秋の天候もまだ、不順を脱しきれず、いまだに今朝の太陽は陽射しを閉じている。