続「通院日」

 九月二十八日(水曜日)、半眠りの朦朧頭で起き出してきたため、なさけなくも文章の体をなすものが書けません。そのため、きのうの『通院日』」の続きを殴り書きして、文章を結びます。
 診察時間は、予期したとおり三分足らずで済みました。それゆえ、私は拍子抜け気分をつのらせて、診察室を後にしました。もちろん長い時間、診察室に留め置かれるよりは、ありがたいことです。診察はいつもの男性・院長先生とは異なり、いまだ中年にも満たないと感じた初見の女医先生でした。私が両耳に集音機を嵌めていたのを咄嗟に察知されたのであろうか。先生は、大きく明るく弾んだお声で相対されました。私は優しさを感じて、気分は患者らしくなく、すぐに解れました。マスク越しのため向き合っても、先生のお顔の全容を見ることはできません。しかしながら私は、女医先生は「美貌」と、決め込みました。
 診察は主に、事前の視野検査の画像を眺めながらでした。
「変化はありません。大丈夫です。薬はまだありますか?……」
「5本ほど、お願いします」
「次も、半年先に、診てみましょう」
「わかりました。ありがとうございました」
 診察室を出ると、ドア近くの椅子に並ばれていた次の人の顔には、驚いた様子があらわれました。お顔には、わが診察時間の短さにたいする、驚きとうれしさが交錯していました。私は予約時間の午前11時前に出向いて、午後2時過ぎに当院を後にしました。いつものことながらこの日もまた私は、目病み患者の多さにびっくり仰天していました。
 きのう・この日(九月二十七日)の日本社会は、故元安倍総理の国葬の日でした。待合室で見たかぎり下々の国民は、病をこらえ、治しては、生きることに懸命です。きのうに続く、きょうの夜明けの日本晴れは、秋の復調の確かな証しと、言えそうです。長く待ち望んでいたことだけれど、半面寒さがに身に沁み始めています。実のない駄文、やはり、休むべきだった。もちろん、「朦朧頭だから、仕方がない!」と、言い訳の効かない文章です。