九月二十七日(火曜日)、どうやら不順続きの天候は正規軌道へ戻り、地上に穏やかな夜明けを恵んでいる。すると、残るはわが不良体調の良化である。ところが、こちらは未だしである。実際には、夏風邪の尾を引く鼻風邪は、未だに治りきらないままである。気分もすぐれず、またとりたてて書くネタもなく、それゆえにきょうは、端から休筆を決め込んで、起きてきた。しかしながら、それはそれで、気分はしっくりしない。仕方なく、パソコンを起ち上げた。浮かんだネタは、このことだけである。きょうの私は、半年ごとに訪れる「大船田園眼科医院」(鎌倉市)への通院日である。実際の施療は、緑内障の半年ごとの経過診察である。
私の問いは、
「先生、死ぬまで続くのですか?」
「そうですね」
わが言葉に変えれば、「死がゴール」のエンドレス通院と、言われたことになる。あえて、聞かなきゃよかったのだ。聞いたゆえに、つらい宣告を被ってしまったのだ。私には、何らの悪い自覚症状はないのに。
治療には、一日に一度だけの点眼薬の一滴こぼしが、もう何年も続いている。診察室に入っても、三分の診察時間さえ与えられず、いつも二分程度でおさらばである。それはそれで長引く診察よりいいわけだけれど、私は半日がかりの通院日にあっては物足りなさを感じている。確かに、「念のため、日を替えて精密検査をしてみましょう」と、言われるよりは大ましではある。だけど私は、「こんにちは」「ありがとうございました」の間隔のあまりの短さにいつも、狐につままれた面持ちで診察室を後にしている。おそらく、きょうの診察もそうなること、請け合いである。もちろん私は、異状宣告を望んでいるわけではない。しかし、半日、半年、がかりの診察であれば、私にはもっと長い時間診て欲しいという、願いや思いはある。
書くつもりのない文章だっただけに、これでおしまい。日本晴れに朝日が映えて、清々しい夜明けである。それなに、こんなことを書いて、とことん、バカな私である。