九月二十六日(月曜日)、起き出してきて夜明けの空をしばし眺めている。朝日こそ見えないけれど、風雨のない穏やかな夜明けにある。どうやらこの先は、秋本来の好季節にありつけそうである。ところが、わが気分は穏やかではなく、なさけなさが充満している。いまだに治りきらない夏風邪のせいもあるけれど、それよりはるかに痛手のなさけなさに見舞われている。それすなわち、わが脳髄の衰えと、それによる様々な不都合が加速しているせいである。おや! 認知症の兆しかな? とも思える、へまも多くなり始めている。具体的に大きなショックを受けているのは、脳髄の衰えにともなう記憶力喪失である。
そんなかにあって最近驚愕した体験では、本来、容易な漢字であっても、手書きではまったく書けなくなっていたことである。なさけなくもこれには、大きなショックを受けている。明らかに、文明の利器すなわちデジタル文字(漢字)に頼りすぎてきた大きな祟りである。パソコンで長いあいだデジタル文字(漢字)を叩き続けたことにたいし、逆らいでもするかのように、手書きの漢字が書けなくなっていたのである。確かに、この傾向には以前から気づいてはいた。しかしながら最近、手書きしたいくつかの容易な漢字で、その加速度が増しているを知らされたのである。ショック、つらい確認だった。
これに懲りてこのところの私は、夏風邪特有の鼻先グズグズの不快感丸出しのなかにあっても、手書き漢字のおさらい(書き取り)に大わらわになっている。具体的には、小学用と中学用を主とする、常用漢字(1950余)の手書き漢字の復習である。それゆえに私は、余生短いなかにあって突然飛び込んで来た、お邪魔虫(再度の手習い)さながらの思いに打ちひしがれている。小学校低学年時代に学んだ漢字にさえこうだから、後学の熟語、四字熟語、諺、成句などの記憶喪失には、はかり知れないものがある。ところがもはや、これらを復習する余生の時間はない。あまりのショックを受けたものだから、恥を晒してまでも私は、きょうの文章のネタに用いたのである。
脳髄の衰えは加齢のせいにはできない、もとよりわが脳髄の脆(もろ)さ、貧しさではある。ようやく中秋らしい、胸の透く清々しい、朝日が輝き始めている。ところが私は、パソコンを閉じれば、小学用漢字の手書きをする羽目になる。表題は、なさけなくも「文明の利器の祟り」でいいだろう。