掲示板

坂本弘司撮影

私の庭

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  昨年の暮れに冬ごもりのために今年伸びたツルを短く刈り込んで部屋に取り込んだパッションフルーツは、室内の暖かさで新しいツルが伸び始めた。それを毎日ながめていると、春にはまだほど遠いけれど、外の寒さを忘れてしまう。今年こそは、外に出すタイミングを間違わないように、確実にツルの成長に適した気候になるまでじっくり待っていようと思う。
 昨年、九月の季節外れに咲いた花が四つ実を結んで、小さかったけれどいつまでも暑かったせいか熟して、あの表現しがたい豊かな香りと甘さを妹と一緒に味わうことができた。
 毎年、季節外れの実は熟さなかったので諦めていたのだけれど、思いがけない温暖化の恩恵をさずかった。そのせいで、げんきんな私は念入りに冬ごもりの作業に専念したのだった。
 もうパッションフルーツの栽培は諦めかけていたのに、俄然やる気が出てきた。
「春が待ち遠しいねー。また、今年も楽しもうね」
 と傍らの鉢植えに声をかけた。
 春よ、こい。早く来いと一生懸命叫んでいる。

嗚呼無常、嗚呼無情

1月19日(日曜日)、時は過ぎても夜明け前にある(6:03)。視覚的にも体感的にも、夜明けの早さ、そして日の入りの遅さ、共にまだ感じていない。この時間だと、ちょっぴりでも夜明けの明るさが欲しいけれど、窓ガラスの外はいまだに真っ暗闇である。いくらか寒気が緩んでいることには、縮んでいた気分を救われている。ところが起き立てにあって私は、好悪こんなことを浮かべている。文章を書けば、何人かの人は読んでくださっている。文章書き素人の私には、空夢(からゆめ)を見ているような、とてもありがたいことである。(だから、背くまい)。この一念にすがり私は、これまで文章を書いてきた。「塵も積もれば山となる」。挙句、私は「ダボハゼがアユになったような」光栄に浴してきた。ゆえに、これを恵んでくださった人様に対しては、いくら感謝してもしきれない、神様いや人様(現人神)のご好意である。しかしながらわが体たらくで、もはや継続に陰りが見えて、日々の私は青息吐息の状態にある。継続を阻害するものには、寝起きのネタ無しをはじめとしてあまたある。だけどやはり、最大のその元凶(邪魔者)は、最期の迫る老齢の身にある。現在84歳、そして年替わって7月には、なんと85歳になる。恐ろしいほどに、途轍もない高老齢となる。世の中の有名人、わが周囲の友人知人、そして身内親戚、多くはこの年齢あたりを境にして訃報が伝わってくる。きょうはこんなことを心中に浮かべて起き出している。だからこの先、文章は書けるはずもない。時が過ぎて、ようやく夜明けが訪れている。朝日の見えない、冬空のどんよりとした夜明けである。

寝坊助の戯言(たわごと)

「大寒」(1月20日)を明後日に控えて、寝起きの私は、寒さでブルブル震えている。しかし、大寒を過ぎれば季節は、段々と春を近づける。春へ向かう足取りには季節用語の「三寒四温」があり、確かに言葉の上でも温かさ(暖かさ)が勝ってくる。だったら嘆かずに、春の訪れを待ちたいと思うところはある。だけどやはり、私は嘆いている。それは、季節や歳月の速めぐり(感)にともなう嘆きである。いや、もっと直截的(ちょくせつてき)には、わが余生(余命)の縮まりに対する嘆きである。寝起きに書くわが文章は、いつも様にならない。これまた、大きな嘆きである。さて、大相撲においてはきのう、横綱・照ノ富士の引退が伝えられた。照ノ富士は、病と怪我すなわち、満身創痍に見舞われて奮闘を続けてきた。だから私は、切なく声なき声で声援を続けてきた。ゆえに、照ノ富士の引退にあっては、大相撲のテレビ観戦における、わが楽しみの一つが消えたのである。身勝手に嘆かわしいとは言えないけれど、すこぶる残念無念である。きょうあすにあって大学入試は、本番を迎えている。人間社会は、常に競争場裏に晒されている。言葉を変えれば、常に生来の才能の有無に晒されている。もちろん学問だけの才能ではなく、スポーツや多芸ほか、様々な才能を含めてである。そして、これらに恵まれた人は、早々と推薦を勝ち取り合格にありついている。そしてこれらの人たちの中には、貸与ではなく給付型の奨学金にありつける人もいる。これに反し、長いあいだ塾費用などをかけても、合格にありつけない人がいる。幸運にも合格してもこんどは、貸与型の奨学金とアルバイトまみれになる人がいる。もちろん様々な入試だけではく、だれしも人生行路には才能の有無に見舞われて、才無き人にとっては嘆きの茨道である。6時近くに目覚めて、きょう(1月18日・土曜日)は、こんなことを書いてしまった。ようやく、夜明けの早さを感じるようになり、すでにのどかな朝ぼらけが訪れている。

生きて「30年」

現在、デジタル時刻は、4:42と刻まれていた。当時の私は同時刻、兵庫県尼崎市東園田町にある単身赴任用の借り上げマンション401号室で寝ていた。当時の起き出しはいつも、5時過ぎだった。きょう(令和7年・2025年・金曜日)、スマホを片手にしてこのことを確かめた。「阪神・淡路大震災とは、1995年(平成7年)1月17日(火曜日)5時46秒52秒に発生した兵庫県南部地震により引き起こされた災害のことである」。実際のところは確かめるまでもなく、寸分たがわずわが脳髄の記憶の中にある。なぜならこのときの私は、この地震の確かな罹災者である。その証しには、世の中の人たちから助成金(罹災見舞金)を賜っている。当時の私は、勤務する会社の大阪支店(中央区淀屋橋)において、管理課長の任に当たっていた。住まいは単身赴任を認められて、「阪急神戸線」を頼りに、上記の一室に構えていた。現在、デジタル時刻は5:05である。当時の私は、もちろん一人寝である。不断から私は、寝覚まし時計など不要の早起きである。始業時間(8時30分)に合わせて、そろそろ起き出していた。一人、小さなテーブルを前にして朝食をとり、早やてまわしに出勤準備を整えていた。単身赴任の出勤準備は、もとよりすべてわが行動は、完全無欠でならなければならない。これに向かって、まだいつもの出勤前の行動である。出勤前の最後の行動は、トイレの用足しである。私はトイレの中で地震に見舞われた。棚にぎっしり詰めて並べていた本類のすべてが、頭、肩、背中、いや全身に落ちてきた。台所を除いて一間の部屋には、括りつけの洋服ダンスから、こちらもすべてが部屋の中に散らばっていた。これらのほか、小型のテレビ、小型の食卓(テーブル)などこれまたすべてが、足の踏み場なく、散らばっていた。管理課長は支店長を除けば、内輪の責任者である。わが私生活および勤務の生活共に、この地震以降は長く、つらく一変した。30年前の地震のことを私は、生きて書いている。多くの犠牲者を鑑みれば、やはり幸運と言えるであろう。現在、5:46になった。文章を閉じます。

☆前田さんへメッセージです☆

前田さん、ぼくの事をいろいろと書いてくださり、たいへん嬉しく心より感謝申し上げます。
笑いの実践は、やりたい時に行なうのが1番よろしいかと思います。
やりたくないのに無理に実践されても、効果は?? だと思います。
きょうも前田さんへ☆大大大エール☆を贈ります(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/

詫びと御礼

1月16日(木曜日)。デジタル時刻は現在、まるで神業のごとくにわが起き出しの定時、5:00ちょうどを刻んでいる。しかし、睡眠にあっては二度寝にありつけず、浅い眠りのままの起き出しを食らっている。高橋弘樹様から賜った「笑いのご教示」は、そののちいまだ実践にいたらず、伏して詫びるところである。これに加えて、詫びなければならないものには、大沢さまへの無礼がある。大沢さまもまた、わが胸の痛みを心配されて、いちはやくそのことをパソコンメールで送信されていたのである。ところが私は、パソコンメールを開かず、そのことに気づかずに過ぎていた。ゆえに遅れて、大沢さまにたいし、詫びと御礼を記すものである。お二人のほかたぶん、掲示板に訪れておられるご常連の人たちもまた、声なき声でご心配くださったと思い、こちらにも御礼を申し上げるところである。わが高年齢のしでかしゆえに、一寸先は闇の中でありこの先、心配はご無用とは言えないけれど、そののち痛みは免れている。きょうは私事、このことを書けば十分である。だから以下は、付け足しである。きのうの「小正月」(1月15日・水曜日)にあっては、テレビニュースの映像には日本列島各地の「どんど焼き」風景が散らばった。私は映像を観て、子ども返りとなり、懐かしく郷愁まみれになっていた。「ひとり笑い」は零れなかったけれど、心は全開に和んだ。前日の胸の痛みを和らげた、棚ぼたの小正月だった。一方、小正月が過ぎて、それを境にしてきょうあたりから、正月気分は遠のいて行く。するとこの先は、春の訪れの楽しみにすがるわが日暮らしである。元気にいや生きて、暖かい春を迎えたいものである。デジタル時刻は、ちょうど5:30。夜明けの光は、まだ先である。肌身は、寒気にブルブル震えている。「大寒」(1月20日)は、まもなくである。

知恵者、高橋弘樹様からさずかった教訓

起き出して来てパソコンを起ち上げると、デジタル時刻は、4:57と刻まれている。起き出し時刻は、みずから決めている定時(5時)近くにある。まずは生きて起き出していることに、みずからを褒めている。これに微笑(ほほえみ)がともなうと、起き出しは100点満点である。けれど、無念にも笑みは零(こぼ)れていない。いや、笑みの無いことには、ホッとしている。なぜなら、こんなことに笑みが零れたら、もはや私は気狂い(症状)である。パソコン起ち上げの倣(なら)いにしたがって、机上カレンダーを見詰めた。すると、きょう(1月15日・水曜日)には「小正月」と記されている。ふるさと時代の子どもの頃の小正月には、元旦の行事(雑煮餅、神棚参りなど)がそっくり繰り返された。加えて小正月特有に、村中の地区ごとには「どんど焼き」が行われた。村人総出の楽しいひととき(行事)であり、老若男女(ろうにゃくなんにょ)だれもが満面に笑みを湛えていた。青竹の先っぽに差した餅を焼くときには、隣の人の焼け具合を見て呵々大笑(かかたいしょう)の渦が湧いた。さて、きのうは文章を書いている最中に突然、胸の痛みをおぼえて、心筋梗塞を恐れてすぐに文章を閉じた。こののちは幸いにも事無きを得て、明けて現在は、文章書きにありついている。(なんだったんだろう?…)、今ではちょっぴり笑いたくなるような出来事だったけれど、もちろん笑えない。このときの異変に対し、心優しい高橋弘樹様は早速、いつものエールに加えて、貴重なアドバイスを授けてくださったのである。それは、わが日常生活における「笑いのすすめ、笑いの大事さ」だった。数々の笑いの種のアドバイスにあって、究極はこれだった。高橋様の訓えの根幹はこれである。「笑いたくなくても、『はははははーー!!』」と声に出して笑ってみる」。すなわち、笑いの大事さの諭(さと)しである。すると、このことにちなんで私は、スマホを片手にして「笑い」の検索を試みた。このあとは、スマホの記事のそのままの引用である。【笑いとは、楽しさや嬉しさ、おかしさなどの感情を表現する行動です。声や顔の表情で表され、感情体験と深くかかわっています。笑いの効果には、次のようなものがあります。・心身の健康を改善する・免疫力を高める・脳の働きを活性化させる・血行を促進させる・自律神経のバランスを整える・痛みを和らげる・記憶力を高める・認知症の予防に効果的】。「笑いは、感情ではなく行動なので、意識的に増やすことができます。人付き合いを増やしたり、笑いヨガを行ったりすることで笑いを増やすことができます」。きょうは歯医者通い、泣くことは容易(たやす)いけれど、わが日常生活にあって笑いは、とうに消えている。少しは高橋様のアドバイスに報いたいものである。もちろん、わが健康のためである。きのうの突然の胸の痛みは、笑いを忘れているわが日常生活の祟りであったろう。夜明けの空は、どんより曇っている。

◎前田さんへメッセージです2◎

前田さん、御快復されてなによりです*(^o^)/*\(^o^)/
今後の☆『ひぐらしの記』☆を楽しみにしています♪♪

高橋弘樹様へ、感謝!

ご心配をおかけしました。心筋梗塞を疑い、しばし身構えていました。しかし、
収まりました。そのあとは平常に戻りました。いろんな処方箋を賜り、御礼申し上げます。

前田さんへメッセージです

前田さん、急な胸の痛みは大丈夫でしょうか?
御快復されている事を祈っています。

日常生活の中で、◯笑いの要素◯を取り入れる事も必要かと思います。
以下でお伝え致します。
・笑いたくなくても、「はははははーー!!」と声に出して笑ってみる。
・前田さんは、スマートフォンをお持ちですから、”笑える動画”などと検索して、視聴してみる。(←この掲示板に時々投稿されている友人のたまごさんは、オモシロ動画を観るのが好きな人で、こうゆうのがあるよ!! とLINEで教えてくれるので、嬉しいところです(o^^o))
・テレビでは、笑いの要素が強いバラエティー番組を視聴する。
・蛇足ですが、パチ屋(=パチンコ屋さんです。)へ行って、打たないまでも、「店内の様子を見に来ました!!」的に、店内を歩き回り、店舗スタッフの女のコの姿を観て、エネルギーとパワーを貰う。
パチ屋の女のコは、制服もよろしいかと思いますが、可愛い系&綺麗系とヴィジュアル的にレベルの高いコが多いのが魅力的ですね☆♪

以上ですが、きょうも前田さんへ☆大大大エネルギー&大大大パワー☆を贈ります(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/