「大寒」(1月20日)を明後日に控えて、寝起きの私は、寒さでブルブル震えている。しかし、大寒を過ぎれば季節は、段々と春を近づける。春へ向かう足取りには季節用語の「三寒四温」があり、確かに言葉の上でも温かさ(暖かさ)が勝ってくる。だったら嘆かずに、春の訪れを待ちたいと思うところはある。だけどやはり、私は嘆いている。それは、季節や歳月の速めぐり(感)にともなう嘆きである。いや、もっと直截的(ちょくせつてき)には、わが余生(余命)の縮まりに対する嘆きである。寝起きに書くわが文章は、いつも様にならない。これまた、大きな嘆きである。さて、大相撲においてはきのう、横綱・照ノ富士の引退が伝えられた。照ノ富士は、病と怪我すなわち、満身創痍に見舞われて奮闘を続けてきた。だから私は、切なく声なき声で声援を続けてきた。ゆえに、照ノ富士の引退にあっては、大相撲のテレビ観戦における、わが楽しみの一つが消えたのである。身勝手に嘆かわしいとは言えないけれど、すこぶる残念無念である。きょうあすにあって大学入試は、本番を迎えている。人間社会は、常に競争場裏に晒されている。言葉を変えれば、常に生来の才能の有無に晒されている。もちろん学問だけの才能ではなく、スポーツや多芸ほか、様々な才能を含めてである。そして、これらに恵まれた人は、早々と推薦を勝ち取り合格にありついている。そしてこれらの人たちの中には、貸与ではなく給付型の奨学金にありつける人もいる。これに反し、長いあいだ塾費用などをかけても、合格にありつけない人がいる。幸運にも合格してもこんどは、貸与型の奨学金とアルバイトまみれになる人がいる。もちろん様々な入試だけではく、だれしも人生行路には才能の有無に見舞われて、才無き人にとっては嘆きの茨道である。6時近くに目覚めて、きょう(1月18日・土曜日)は、こんなことを書いてしまった。ようやく、夜明けの早さを感じるようになり、すでにのどかな朝ぼらけが訪れている。