1月19日(日曜日)、時は過ぎても夜明け前にある(6:03)。視覚的にも体感的にも、夜明けの早さ、そして日の入りの遅さ、共にまだ感じていない。この時間だと、ちょっぴりでも夜明けの明るさが欲しいけれど、窓ガラスの外はいまだに真っ暗闇である。いくらか寒気が緩んでいることには、縮んでいた気分を救われている。ところが起き立てにあって私は、好悪こんなことを浮かべている。文章を書けば、何人かの人は読んでくださっている。文章書き素人の私には、空夢(からゆめ)を見ているような、とてもありがたいことである。(だから、背くまい)。この一念にすがり私は、これまで文章を書いてきた。「塵も積もれば山となる」。挙句、私は「ダボハゼがアユになったような」光栄に浴してきた。ゆえに、これを恵んでくださった人様に対しては、いくら感謝してもしきれない、神様いや人様(現人神)のご好意である。しかしながらわが体たらくで、もはや継続に陰りが見えて、日々の私は青息吐息の状態にある。継続を阻害するものには、寝起きのネタ無しをはじめとしてあまたある。だけどやはり、最大のその元凶(邪魔者)は、最期の迫る老齢の身にある。現在84歳、そして年替わって7月には、なんと85歳になる。恐ろしいほどに、途轍もない高老齢となる。世の中の有名人、わが周囲の友人知人、そして身内親戚、多くはこの年齢あたりを境にして訃報が伝わってくる。きょうはこんなことを心中に浮かべて起き出している。だからこの先、文章は書けるはずもない。時が過ぎて、ようやく夜明けが訪れている。朝日の見えない、冬空のどんよりとした夜明けである。