
坂本弘司撮影 八月二十一日(日曜日)、過ぎ行く夏、初秋のどかな夜明けが訪れている。夏風邪は市販の風邪薬の2、3服の服用で治った。暑中お見舞いを申し上げた矢先の、飛んだしくじりだった。高橋様には早速、お見舞いの言葉と、「大、大、大のエール」を賜った。謹んでお礼を申し上げるところである。なぜならエールは、再びパソコンに向かう勇気づけになっている。夏風邪をひいたのは自業自得、お腹丸出しに寝そべっていたからである。すなわち、夏の醍醐味を貪っていた祟りである。幼児の頃のように、「金時印の腹かけ」みたいなものを巻いて寝ていれば、夏風邪はひかない。棺桶間近の大のおとなが、そんな知恵も忘れるようでは、もはや生きる屍(しかばね)同然である。なさけない。もとより、夏風邪は軽症である。しかしながらその間、気分が鬱になることには変わりない。反省を込めれば、夏風邪をひいたのは飛んだしくじりだった。私の場合、夏の醍醐味の筆頭には、甲乙つけずにこんなものがある。まずは着衣の軽装と夜具(夏布団)の用無しである。実際の軽装は、上半身は肌着一枚であり、下半身はステテコないし短パンで済むことである。確かに夜具は、薄っぺらの夏布団さえほとんど掛けずに、ごろ寝で済むことである。さらなる醍醐味は、入浴のおりの脱衣の簡便さである。いや、入浴さえ用無しにシャワーだけで済むことである。これらは、もちろん夏にしかありつけない夏の魅惑、すなわち飛びっきりの夏の醍醐味である。確かに、夏風邪をひいたのは、お腹丸出しのごろ寝の飛んだしっぺ返しだった。ところが現在の私は、夏風邪に懲りず、過ぎ行く夏を惜しんでいる。「暑い、暑い夏」は、あたりまえと思って我慢すれば済むことである。だから私は、夏の季節がもっと長ければいいのに…と、欲張っている。たぶん、私以上にセミたちは、夏の長さ、いやいのちの長さを欲しがっているであろう。ヒグラシが「かな、かな、かな、…」と鳴き、初秋を告げる草むらの集(すだ)く虫たちの鳴き声は、いやがうえにも寂寥感をいや増して来る。あらがえない季節のめぐりとはいえだから私は、もうしばらくは暑い夏の継続を願っている。夏風邪に再度、ドジを踏むつもりはない。確かに、初秋の朝風は夏風を凌いで心地良いところがある。「ゆく夏を惜しみ、訪れる秋を楽しむ」。だとしたら四の五の言わず素直に、自然界讃歌でいいのかもしれない。 前田さん、夏風邪との事でお大事になさってくださいね。 とんだ気のゆるみ、すなわち寝冷えで夏風邪をひき、気分が鬱状態です。寝床を抜け出してきて、この文章を書き終えれば、寝床へとんぼ返りをいたします。体温は測っていません。平熱程度だと、感じているからです。それゆえ、コロナではありません。もちろん、怠け者の節句働きのせいでもありません。なぜなら、普段にも身に堪える働きは、何一つしていません。だから実際のところは、人様のお盆休みを妬んでの、怠け者の遅れてきた盆休みです。言うなれば、ケチ臭い休みです。 八月十九日(金曜日)、夜明けの空は夏空から、秋空の色合いを深めている。天高く、胸の透く青空である。起き立てのわが気分は、いっぺんに陰から陽へ変わった。薬剤などまったく用無しの自然界の恵みである。無色の朝日は大空を青く染めて、家並みの白壁をいっそう白く際立たせている。雨風まったくなく、山の木の葉は眠ったままである。しばし視界を眺めながら、私は難聴の両耳に集音機を嵌めてみた。山に、早起き鳥が鳴いている。寝起きの私は、自然界の恵みにおんぶにだっこである。人の世には世であっても、暗雲が垂れ込めている。真綿に首を締められるという表現がある。さらには、八方塞がりという表現もある。現下の日本社会は、なんだかこれらの表現を用いたくなる。その証しは、果てしなく続くマスク姿である。私自身嵌めても、あるいは人様のマスク姿を見ても、もはや飽き飽き気分旺盛で、うんざりである。確かに、戦雲下よりましではある。しかしながら、気分が晴れないことにおいては、小さな同類項と言えそうである。本マスク姿は、本当に果てしなく続くのであろうか。だとしたら挙句、わが亡骸はマスク姿で、棺桶に横たわるのであろうか。知らぬが仏とはいえ、ぞっとせずにはおれない。ネタなく、休むよりましかな? こんな気分で書いた、なさけない文章である。この気分を慰めているのは、様々な「冠(かんむり)の秋の訪れ」である。絵には書けない、夜明けの秋空のさわやかさである。加えて、先ほどより勢いを増している鳥の鳴き声は、わが身をとことん癒してくれる無償のBGMである。せっかくの「冠の秋」、ふわふわの真綿に首を締められて、死にたくはない。 八月十八日(木曜日)、夜明けが訪れている。朝日の見えないどんよりとした曇り空である。人間の営みにはお構いなしに、尽きることなく夜明けは訪れる。人間界とは異なり、泰然とした自然界の営みである。きのうの私は、書くこともなく、書きたい気分もなく、いや書けずに文章はずる休みした。きょうの夜明けにあってもその気分を引きずり、書きたい文章にはなり得ない。生活すなわち生きる活動とは、文字どおり生きる闘いである。私は闘いに負けそうである。いや、すでに負けている。ごみの分別置き場は、付近住民(10世帯)の人間模様の縮図である。とりわけ貧富の差が現れてわが家は、貧しさの最下位に位置している。まずは置き場の位置において、人間模様の浅ましさが現れる。本来、置き場所は持ち回りのはずだった。ところがみんな、汚さを毛嫌いしてわが家に頼み込んで、そののちは知らんぷりのままである。私は、隣近所との諍(いさか)いを好まない。そのことを見透かされたようである。それゆえにごみ置き場は、わが宅地の側壁に張り付いたままである。我慢は、仲良く生きるための小さな知恵ではある。しかしながら、人様の浅ましさを見ることには、呆れてつらいところがある。確かに、ごみは人間模様の縮図、すなわち個々の生活ぶりの写し絵である。貧富の差はごみ自体に、なかでも缶や瓶の分別箱に如実に現れる。わが家では望むべくもない高級なものが、ゴロゴロと入っている。確かに、分別ごみ置き場には、まずは人間の浅ましさが見て取れる。そして、良くも悪くも人様の生活ぶりが丸見えである。きょうもネタなく、休むつもりだった。やはり、休むべきだった。きょうは一週に二度訪れる、生ごみ出しの日である。わが家の分別ごみ出しは、わが日課である。人様の生活ぶりを垣間見て、わが家の生活ぶりを垣間見られる、切ない日である。 今年も例年通りお盆の行事を行った。七月三十一日にお寺に「盆料」と「施餓鬼塔婆料」を納めに行った。お坊さんは十四日の午前中に来訪とのことだった。 八月十二日に仏壇の掃除をして盆飾りの用意をした。十三日に妹が泊まりに来てくれて、一緒にお盆の支度をしてくれた。昨年のお迎えの時、長年使っていた盆提灯に灯を付ける際に謝って燃やしてしまい、慌てて新しいのを買いに行ったが、どこにもなかったので、燃えた部分を和紙で繕って間に合わせた。今年は新しいのを買おうと思っていたのにすっかり忘れていて、妹に「提灯どうした?」と聞かれて失念していたことを思い出した。 八月十七日(水曜日)。書けません。 八月十六日(火曜日)、確かに夜明けの風は、夏風から初秋の風に変わりました。誰に教えを乞うまでもなく、わが肌身が確りと教えてくれています。「八月盆」の送り日にあって、世の中の人様の動きは、いやいやしながら帰り日になるでしょう。私の場合は、まるでカタツムリさながらに動きのない日常です。それでも生きているかぎりは、三度の御飯と三時のおやつ、さらには間髪を容れない駄菓子と水道水のがぶ飲みは、欠かせません。この祟りにあってわが身体は、こけしのようなスマートさは望むべくもなく、だるまのように上半身だけが丸膨れ状態に見舞われています。最近はこの上部体を両脚が支えきれずに、私はノロノロ、ヨロヨロと、歩いています。挙句、加齢のせいにしては両脚の衰えが早いなあーと、自覚せずにはおれません。「ダイエットをしなさい! わかっちゃいるけど、餓鬼食いをやめられないのです!」。わが生来の意志薄弱のせい、いや大きな祟りです。書くことも、書きたいこともなく、なさけない文章を書きました。落ち葉掃きに手古摺り、狭いい庭中なのに夏草取りに往生しています。外にいようと、茶の間のソファにもたれていようと、山の鳥の声が夜明けから夕暮れまで、難聴の両耳に聞こえてきます。これにこのところは、セミの鳴き声が加わっています。もちろん両耳に、集音機は嵌めています。妻は「パパ。鳥やセミの鳴き声、うるさいわねー…」と、言っています。しかし、私は呼応せず、「うるさくないよ。そう言うなよ。それらは、人間のために必死に鳴いてくれているのよ。いや、それら自身、鳴かずにはおれないのだ。切ないじゃないか!」「夕方には、カナ、カナ、カナ、…と、ヒグラシが鳴いているわよ」「セミのいのちは短いのだ。鳴きたいだろう?…」。玄関ドアーのところには、アブラゼミが転げていました。私は指先で拾い、しばし眺めて静かに植栽の陰に置きました。亡きがらは棺(ひつぎ)に入れられることもなく、真夏の日照りや、秋の台風にさらされて、いずれは庭土になるのでしょう。いよいよ季節は夏と別れて、心寂しいが近づいています。鳥やセミには、切なくとも思う存分鳴いてほしいと、願っています。人間は泣きたくとも、思いっきり泣けないだけ、大損です。案外、鳥やセミは、人間の代替役を務めているのかもしれません。切ないです。 令和4年(2022年)8月15日(月曜日)。77回目の太平洋戦争「終戦記念日」(昭和20年・1945年、8月15日。終戦・敗戦)。このときのわが年齢は、5歳と一か月(1940年7月15日誕生)。私は近くの小川で、サワガニ、メダカ、小魚、ドジョウ取りの水遊びをしていた。呼び戻されて、家族共々に縁先に立って並んだ。海軍の軍務半ばで病に罹り、自宅で養生していた異母次兄より、敗戦を告げられた。現在私は、八十二歳と一か月。生き延びてきた。日本の国は、「八月盆」のさ中にある。のどかな夏の夜明けにあって、しばし黙祷! 八月十四日(日曜日)、山の木々の吹き付けを恐れて、全部閉め切っていた雨戸を次々に開けた。眼下の道路は濡れて、山から落ちた木の葉が汚らしくべたついている。しかしそれは、普段の夜来の雨上がりの様子とまったく変わらない。無色の朝日が家並の壁にあたり、白さをきわだたせている。懸念していた台風は、小嵐程度で過ぎ去っている。玄関口を出て見回りしても、家周りに被害はなさそうである。恐れていたぶん、私はのどかで平和な夜明けの境地にある。台風被害に遭っていれば、もちろん逆に、この境地はさんざんである。私の場合、台風には忌まわしい過去の出来事がある。それは屋根が損壊し、カラーベストが方々に落下して、業者に修復を依頼した悔恨である。それ以来私は、台風予報を極端に恐れるようになっている。すなわちそれは、貧相な納屋みたいな建屋に住まざるを得ない、甲斐性無しの祟りである。その証しにはそのときの台風で被害を受けた家は、1200戸くらいある住宅地の中でも、わが家一軒だけにすぎなかった。恥を晒したけれど、修復が叶うと安堵し、意識して恥は忘れた。しかし、台風被害はもうこりごりである。こう思う半面なお、わが家の貧相さをかんがみて、それ以来台風予報には大小にかかわらず恐れて、わが身を強く痛めている。かつての私は、台風一過の日本晴れに気分をよくしていた。ところが現在は、その気分にはまったくありつけない。いや、台風予報が出ると、発生のときから戦々恐々を強いられている。夕べの台風一過は、さわやかな秋風をもたらしている。しかしながら、かつてのように心地良いと言えないのは残念無念である。忌まわしい過去の出来事にはそののち、トラウマ(心的外傷)が憑き物である。台風被害の残滓(ざんし)と言って、もちろんのほほんとしてはおれない。
ゆく夏を惜しむ
前田さん、お大事になさってくださいね
きょうも前田さんへ大大大エネルギー &大大大パワーを贈ります(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/夏風邪
冠の秋の訪れ
きょうも、休むべきだった
施餓鬼会
妹と和光市の駅で待ち合わせして、その足で一緒に買い物をした。花屋で盆飾りの品物を揃えようとしたが、盆花、蓮の葉が売り切れていて、盆飾りの品物は前日に揃えなければならないことを改めて思い知った。提灯はマーケットで買うことができたが、お迎えと送りの馬と牛を作るためキュウリとナスは、キュウリが細いのばかりで麻がら(おがら)がうまく刺さるか心配だった。案の定、刺したらひびが入ってしまった。
十六日は猛暑日になるというので、朝七時半頃お墓参りを済ませた。十時に塔婆を取りにお寺に行ったが、境内は静まりかえっており、本堂の扉は閉まっていた。日時を間違えたのかと思い通知文書を出してよく見ると、施餓鬼会が十時からとなっていて、隣の行に※お塔婆は午後二時以降と書かれていた。
ああ、またいつものドジをやってしまった。私は流れる汗を拭きながらお寺の駐車場の方へ目をやった。軽トラックの運転席から職人風の男性が降りてくるところだった。思いきって声をかけてみた。「玄関に行って声をかけてみたら渡してくれるかも知れませんよ」との返事だった。また改めて来なければならないと思い込んでいてそんな考は浮かばなかった。
私は母屋の玄関のブザーを押した。女性の声で本堂の入り口へ回って下さいとのことだった。
「今、法会が始まるところです。良かったら参席なさいませんか。終わったら塔婆が渡されると思いますよ」と言われた。法会は四十分ほどで終わるということで参席することにした。
案内されて椅子に腰かけても噴き出す汗は止まらない。長年夫任せにしていたことを一つ一つこなしていくのは大変だ。塔婆を受け取る前に施餓鬼会なるものがあることも知らなかった。もちろん参席するのも初めてだ。
法会が済んで焼香台前に立って盆飾りを眺めてみると、盆飾りをするのに蓮の葉やミソハギなど用意するのを不思議に思っていたが、今回の施餓鬼会の盆飾りを見て謎が解けた。蓮の葉の上にナスとキュウリの乱切りが乗せられていて、茎の部分を和紙で束ねたミソハギが置かれていた。
何も知らずにただ言われるままに行っていた盆飾りを目の当たりにして何だかすっきりした気がした。そして、法会の坊さんのお経に接して、身も心も洗われた思いで帰路についた。頓挫
暑中お見舞い申し上げます。鳥とセミの鳴き声
77回目の「終戦記念日」
台風、大過なく過ぎて…