施餓鬼会

 今年も例年通りお盆の行事を行った。七月三十一日にお寺に「盆料」と「施餓鬼塔婆料」を納めに行った。お坊さんは十四日の午前中に来訪とのことだった。 八月十二日に仏壇の掃除をして盆飾りの用意をした。十三日に妹が泊まりに来てくれて、一緒にお盆の支度をしてくれた。昨年のお迎えの時、長年使っていた盆提灯に灯を付ける際に謝って燃やしてしまい、慌てて新しいのを買いに行ったが、どこにもなかったので、燃えた部分を和紙で繕って間に合わせた。今年は新しいのを買おうと思っていたのにすっかり忘れていて、妹に「提灯どうした?」と聞かれて失念していたことを思い出した。
 妹と和光市の駅で待ち合わせして、その足で一緒に買い物をした。花屋で盆飾りの品物を揃えようとしたが、盆花、蓮の葉が売り切れていて、盆飾りの品物は前日に揃えなければならないことを改めて思い知った。提灯はマーケットで買うことができたが、お迎えと送りの馬と牛を作るためキュウリとナスは、キュウリが細いのばかりで麻がら(おがら)がうまく刺さるか心配だった。案の定、刺したらひびが入ってしまった。
 十六日は猛暑日になるというので、朝七時半頃お墓参りを済ませた。十時に塔婆を取りにお寺に行ったが、境内は静まりかえっており、本堂の扉は閉まっていた。日時を間違えたのかと思い通知文書を出してよく見ると、施餓鬼会が十時からとなっていて、隣の行に※お塔婆は午後二時以降と書かれていた。
 ああ、またいつものドジをやってしまった。私は流れる汗を拭きながらお寺の駐車場の方へ目をやった。軽トラックの運転席から職人風の男性が降りてくるところだった。思いきって声をかけてみた。「玄関に行って声をかけてみたら渡してくれるかも知れませんよ」との返事だった。また改めて来なければならないと思い込んでいてそんな考は浮かばなかった。
 私は母屋の玄関のブザーを押した。女性の声で本堂の入り口へ回って下さいとのことだった。
「今、法会が始まるところです。良かったら参席なさいませんか。終わったら塔婆が渡されると思いますよ」と言われた。法会は四十分ほどで終わるということで参席することにした。
 案内されて椅子に腰かけても噴き出す汗は止まらない。長年夫任せにしていたことを一つ一つこなしていくのは大変だ。塔婆を受け取る前に施餓鬼会なるものがあることも知らなかった。もちろん参席するのも初めてだ。
 法会が済んで焼香台前に立って盆飾りを眺めてみると、盆飾りをするのに蓮の葉やミソハギなど用意するのを不思議に思っていたが、今回の施餓鬼会の盆飾りを見て謎が解けた。蓮の葉の上にナスとキュウリの乱切りが乗せられていて、茎の部分を和紙で束ねたミソハギが置かれていた。
 何も知らずにただ言われるままに行っていた盆飾りを目の当たりにして何だかすっきりした気がした。そして、法会の坊さんのお経に接して、身も心も洗われた思いで帰路についた。