
坂本弘司撮影 私はパソコン作業の持病から肩こりや目眩、耳鳴りなどで体調を崩し、市内の整骨院をたびたび訪れている。その日も治療を終えて会計をすませたが、後に続く患者はいなかったので、レジに立たれている先生に、「胡蝶蘭の花は先生が咲かせたのですか」と話しかけた。すると先生は、にこやかに待合室の方へ出てこられて、「育てているという人が持ってきてくれたのですよ」と鉢植えのそばまで来られた。 ☆月下美人☆は、大沢先生の願いが届いて、蕾が育ってくれてなによりですね☆*(^o^)/*☆ 2泊3日の望月窯での御滞在、たいへんお疲れさまでございました。 7月9日から11日まで古河の実家に滞在した。着いた日は蒸し暑くて畑仕事は出来ないので、収穫作業だけにした。らっきょうが植え替え時期になっているので、いったん収穫して種らっきょうだけ八十粒残して、塩漬け用に皮むきをしてから小瓶に漬けた。妹はらっきょうに目がない。漬けてすぐに味見をすると、「止まらない」と言いながら、ちょこちょことつまみ食いしていた。 7月13日(土曜日)。ふるさとは7月盆の迎え日(火)にある。きのうの雨の名残で、道路は濡れている。そのため、道路の掃除はできずに、仕方なくパソコンに向かっている。仕方なくという表現は止めて、喜んでと書けばいいものの、そう書けば嘘っぱちになる。嘘は、禁物である。だから、本音を言えば、継続を断たないためのパソコンへの対峙である。きょうは、10日間の頓挫の後の再始動3日めである。言うなればこの文章は、生来の三日坊主を恐れて、それを免れるためだけの文章にすぎない。ゆえに、用意周到なネタなど持ち合わせず、ひたすら継続を願うだけのいたずら書きの文章と言えるものである。自分自身、この先、何を書こうかとさ迷っている。人間の生身(身体)には、様々な器官がある。それらの中で、感覚器官として五官を成しているものを順不同に記せばこれらがある。すなわち、耳(聴覚)、鼻(嗅覚)、目(視覚)、舌(味覚)、皮膚(触覚)である。すると、これらの欠陥や劣化に対しては、人間の知恵が補うこととなる。人間の知恵が生み出すものには、かぎりなく様々なものがある。しかし、凡愚の私は、それらを知ることはできない。ゆえに、生身(身体)の欠陥や劣化にかぎり、ごく常識的に浮かべているのは、薬剤と器物である。この二つの中で薬剤は別にして、今、わが知るかぎりの器物を浮かべている。すなわち、人体機能(器官)の欠陥と劣化を補助する、人間の知恵の産物類である。まずはわが身を照顧すれば現在は、メガネ、入れ歯、補聴器の有効さにさずかっている。妻の場合は、今のところ補聴器は要なしだけれど、この先の予備軍にはある。ところが妻の場合は、脳髄には金具が埋め込まれている。これは自転車の後部座席に乗る妻を、私が振り落としたおりの脳外科手術で埋め込まれたものである。50日を超える入院で妻の命は助かり、私は加害者という犯罪者から免れた。わが生涯にわたりまったく消えることのない、つらい事故の後処置であった。私は妻の命を救った金具を見ることはできない。けれど、このときの主治医(今は亡き院長先生)と「大船中央病院」(鎌倉市)には、これまたわが生涯において、尊敬と尊厳を欠くことはできない。妻は二年ほど前の転倒、そして大腿骨骨折にあっては、大船中央病院へ救急車で搬送された。私も同乗した。入院手術のおりの人造骨(人工骨)で妻は現在、歩行が叶えられている。私と妻にかぎっても、これらの人工器物の補助にさずかり、日常生活を営んでいる。もちろん、世の中の人々は、人間の知恵すなわち様々に多くの人工の器物にさずかっている。私の知るかぎりを記すと、こんなものが浮かんでいる。これまた順不同に思いつくまま記すところである。一般にカテーテル(管)と言われ器具は、部位ごとに様々な用い方で使用されている。詳細は知る由ないけれど、心臓の補助器材にはペースメーカーがある。運動機能をよみがえらせる義手や義足がある。先ほどの金具や人工骨もある。総じて、車椅子なども人間の知恵の産物と言えそうである。薬剤を生み出す人間の知恵にもかぎりはない。未知のことを書いて誤りがあれば、伏して詫びるところである。三日坊主で止めれば、心の安寧に行き着ける。しかし、継続を断たないために仕方なく書く文章には、安寧にはありつけない。朝日が射し始めている。道路が乾けば、掃除へ向かうことになる。あさって(7月15日)、ふるさと盆の送り日(火)には、わが84歳の誕生日が訪れる。わが命は劣化を続けている。だけど命を救う適当な器材はなく、対症療法の薬剤頼みである。人間の知恵の開発はまだ残されている。わが死後に有効な器材が現れるかもしれない。それでも悔いることなく、良しとしなければならない。ウグイスは、気分良く鳴いている。わが気分は、どんよりとくすんでいる。 7月12日(金曜日)。夜明けて、曇り空である。雨は降っていないけれど、道路は雨の跡を残して濡れている。だから、きのう書いた、文章の頓挫の理由の一つは使えず、パソコンに向かっている。二者択一すなわち、今朝は道路の掃除のほうを諦めて、半ば仕方なく文章を書き始めている。文章の継続を阻害する因(もと)は、もとよりこれにとどまらずかぎりなくある。その一つは、時間的制約である。具体的なものでは、寝起きて書く文章と、ほぼ同時間帯に負荷している道路の掃除である。この制約を免れるためには、どちらかを同時間帯から、逸らせばいいことである。だれでもできる、きわめて簡易な対処法である。もちろん私も、これまで何度も試みたし、今も試みている。ところが、その試みは未だに定着をみずに、なさけなくも文章の途絶えの言い訳の一つとなっている。確かに、たったこれだけの文章にあって、時間的制約の理由を持ち出すのは愚の骨頂である。書き殴りに書いて、一度の推敲を試みても、30分ほどで済むものである。しかし、文章の頓挫は防ぎきれない。やはり、文章頓挫の根源は、総じて心(精神)の病・堕落の現象と言える気力の萎えにある。ところがそれも、一時的に現れる「モチベーション(意欲・気力)の低下」では済まされず、今や気力の萎えは常態化している。もちろん、このにっちもさっちもいかない状態を覆すことは生易しいことではない。なぜならそれには人生の晩年を生きる、抗(あらが)えない諸々の事情が絡み合っているからである。「偕老同穴・共白髪」とは優しい響きにあって、極めて惨酷なフレーズ(成句)である。すなわち、日々、配偶者(妻)の衰えを眼前にするつらさである。もとより、一方通行で済むものではなく、妻から見る配偶者(夫・私)の衰えを見るつらさも同居している。きょうは、きのうの一日限りで頓挫を免れるための目的で、こんな実のない文章を書いてしまった。伏して詫びるところである。日が昇り、道路が乾けば、道路の掃除へ向かうこととなる。このところ暑い日が続いたせいで、秋口まで生き延びることができない、朽ち葉が矢鱈と落ちている。掃くには面倒だけれど、掃き捨てるには戸惑いをおぼえる、木の葉の「成れの果て」である。 前田さん、毎日早朝からの道路の清掃とアジサイの剪定作業、たいへんお疲れさまでございます。 7月11日(木曜日)。6月で見終えていたカレンダーは、初めて7月のページを見ながら、曜日を確かめた。するときょうは、7月になって早や、11日目を迎えている。先ほど、久しぶりにパソコンメールを開けると、真っ先に一つの受信メールに出合った。送信者は、掲示板ではお馴染みの入社同期お仲間の渡部さん(埼玉県所沢市ご在住)である。メールには7月になって10日休んでいる「ひぐらしの記」に対する危惧と、再始動への激励文がこころ優しく綴られていた。人生における最大かつ最良の幸福は、良友との出遭いである。渡部さんからさずかったメールは、確かなその証しだったのである。さて、7月になってこれまでの10日間、大袈裟に言えば生きるためのわが気力は萎え、小さいことでは文章を書く気力は失せて、挙句「ひぐらしの記」は頓挫した。いや一時の頓挫では済みそうにはなく、もはや再始動への心意気自体、すっかり消えていた。この原因は総じて、年老いたことから生じている気力の萎えだった。これに追い打ちをかけていたのは、執筆とほぼ同時間帯にする朝の日課、すなわち道路の清掃だった。この間の私は、普段の道路の清掃とこの時期特有のアジサイの剪定に頭を悩ましてそちら優先し、毎朝五時前あたりからそれらの作業にたずさわっていたのである。そうこうしているうちに文章は日に日に書けなくなり、いやもう書きたくない心境が膨らみ、通せんぼさせられていたのである。挙句には、「惰性」という有効な倣いさえ遠のいていたのである。確かに、カンフル剤を打たなければ、わが気力は萎え切っている。もちろん自力では叶わず、他力本願すなわち渡部さんはじめ高橋弘樹様、そのほか掲示板上の声なき声すがりである。加えて、お顔馴染みの散歩常連組のご高齢女性のこの問いに、心臓の鼓動が波打ったのである。「文章はまだ毎日、書かれているのでしょ? 今朝はもう書き終えられたのですか? 偉いですね」「いや、きょうはこの後で書きます」。わが身に堪えた嘘だったのである。効果覿面のカンフル剤にはならないけれど、私は点滴のひとしずくにすがっている。 大沢先生、牛すき焼き鍋定食の御感想の御投稿をどうもありがとうございます*(^o^)/*\(^o^)/
癒やされる整骨院
「私の家にも胡蝶蘭の鉢植えがあるんですが、花が咲かないものですから、何かコツがあったら教えて頂こうかと思って」という私の言葉に、
「液肥を三日おきぐらいにあげてるそうですよ。水も一日一回、鉢底からでるぐらいあげてるとか言ってました」と言い終えると、「先日、歩いているとクワガタが私の肩に止まったんですよ。捕まえて、ヨーカドーまで行ってこれを買ってきましたよ」と胡蝶蘭の鉢植えの隣に置かれている緑色のプラスチックの容器を指さして、
「クワガタは夜型だから今はおがくずの中に潜っていて姿は見えませんが、三ヶ月ぐらいしか生きないそうで、何とかメスを見つけないとね」と楽しそうに話された。
小さい頃に飼ったことがあって、懐かしくなって飼育容器まで買い込む熱意に、私は自分にも共通するものがあると胸打たれた。
先生とは治療をしてもらいながら花や野菜を育てる話などもたびたびする。今も待合室にはトマトの赤い実が熟している。♪大沢先生へ『私の庭』&『望月窯だより』の感想です♪
ぼくも開花を心待ちにしています☆♪
らっきょうの塩漬けとブラックベリージャム、おいしそうですね☆★
種らっきょうの地植えと草取りも本当にお疲れさまでした。
花々の画像も美しく素晴しいです♪♪♪♪
個人的には、ヤマユリが大好きです*(^o^)/*
毎回思いますが、アジサイは本当に『良い場所』に咲いていますね(^^)望月窯だより
ブラックベリーも収穫したのですぐにジャムにした。すると「パンが食べたいね」ということになり、翌日朝食を済ませてから近くのコンビニまで散歩がてら買いに出かけた。実家で散歩するのは久しぶりで、たんぼ道を片道二、三十分かけて歩いた。涼しい風が吹き渡っていた。
種らっきょうとして残した八十粒を地植えにした。その後はまた延々と草取りをした。背丈が伸びた草むらにはカサブランカやヤマユリ、キキョウの花咲き乱れ、ムクゲのピンクの花が涼しげだ。アジサイも木陰でまだ咲いている。 人間の知恵
青息吐息で書きました
☆前田さんへメッセージです☆
この暑い時期の清掃と作業は、かなりのエネルギーとパワーをお使いになられることと思いますので、清掃&作業優先でよろしかったのではないでしょうか。
☆前田静良大大大応援団☆は、いつでも☆前田さんへ大大大エール☆を贈っていますので、形に現れていなかったとしても御安心くださいo(^-^)o
きょうもといいますか毎日、☆前田さんへ大大大エール&大大大エネルギー&大大大パワー☆を贈ります(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/励ましに応える「点滴のひとしずく」
♪大沢先生へメッセージです♪
まったく先生のおっしゃる通りです(^^)
ライバル企業のすき家の牛すき焼き鍋定食(うどんが入っていて、こちらも美味です!!)は、毎年11月〜翌年1月までの季節に合わせた販売ですが、松屋は夏に販売してやってくれましたo(^-^)o
松屋の”店舗限定キャンペーンメニュー”は、他にもあと3種類ありますので、時間があれば各限定店舗を回って、投稿させていただきたい、と思っています♪♪♪







