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坂本弘司撮影

追伸

フクミ義姉の叔母さんは、私の父親の姪っ子です。ふうちやん、知っていましたか?

叔母さんです

そうです。亡きふるさとの長兄の妻、フクミ義姉の叔母さんです。かつて便りで、私にブラジルに遊びにおいでと、言ってくれました。叔母さんはふうちやんの叔父さん? に嫁がれて、ブラジルへ行かれたのですね。今や、兄、義姉共になく、迎えてくれる人がいないのは寂しく、申し訳なさでいっぱいです。

帰りたいけど!

 先日、ブラジルの従弟から、「熊本に帰る?・・・熊本に来る!・・・ので、会いたい!・・・」と、電話がありました。でも、もう、熊本には、90歳以上の ”ままならない” 従姉3人がいるだけ!・・・私が、ブラジルの伯父叔母や従姉に会った事のある最後の者となっています。
 そういう、私も、84歳、残念ながら、ヘルニアで杖なしでは、歩けない状態で、熊本に帰りたいけど!・・・帰れない状態です。
 追伸、ブラジルの従弟・・・しいちゃんとも、無関係の人ではありません。亡くなった、しいちゃんの義姉と縁する者です。

尽きない、ふるさと慕情(摩訶不思議)

8月21日(水曜日)。網戸を覆った窓ガラスを開くと網戸から、熟(う)んだ夏風に変わり、初心(うぶ)な初秋の風が爽やかに吹き込んだ。季節はすでに夏を過ぎて、すっかり秋モード(装い)にある。いくらか寂しく、いくらかうれしい感情が迸(ほとばし)る。確かに窓の外は、夏の朝から秋の朝の風情(ふぜい)にある。輝く朝日は、柔らかな光である。この文章は短く結んで、涼しい朝のうちに庭中の夏草取りへ向かつもりでいる。もちろんそれは、道路の掃除の後になる。郷愁、望郷、懐郷、そしてずばり「ふるさと慕情」など、異郷にあって故郷を恋い慕う心情やそれを表す言葉は数多ある。だからわが能力では、それらを書き尽くすことはできない。起き立ての私は、こんな思いを抱いていた。すなわちそれは、人間心理においてふるさと慕情ほど摩訶不思議なものはないという思いである。この心理の発露をなしたのは、きのうのこのときである。きのうの文章にあっては思いがけなく、大沢さまからうれしいコメントをさずかったのである。そのコメントは、大沢さまのふるさと・島根県出雲市、なかんずく大社町・「出雲大社」への望郷だった。このコメントに出合うとわが心理もまた、にわかに懐郷をくすぐられて否応なく増幅した。その証しにはすぐに、追っかけのコメントを書かずにおれない心模様を成した。このとき、私はふるさと慕情の摩訶不思議さにとらわれていたのである。なぜなら、今や故郷と名を変えているわが生誕地(当時、熊本県鹿本郡内田村。現在、山鹿市菊鹿町)の生活は、高校を卒業するまでの18年間にすぎなかった。そして現在の私は、誕生以来84年を刻んでいる。すると、84年における18年は短い年数である。なお、短い18年から、物心がつくまでの年数を減じれば、実質の生誕地に纏(まつ)わる生活や感情は、10年余りと言えるにすぎない。ところが、わが84年の心理状態にあっては、18年にすぎない故郷生活がふるさと慕情を成して、埋め尽くされている。まさしく、ふるさと慕情の摩訶不思議さのゆえんである。そして、この心理状態を文章にすると、短くつもりのものがエンドレスになる。ゆえに、これを断つには苦悶を強いられる。それでも、断つ決意をして、尻切れトンボの文章を恥じず、初期の行動へ向かうこととなる。涼しい内を願っていたけれど、時が進んで朝日は昇りすぎている。尽きない、ふるさと慕情のせいである。

重ねて、懐郷

今朝の大沢さまのコメントを読んで、限りなく故郷熊本へ帰りたくなった。ふうちやん、一緒に帰ろうか。

ああ、故郷

 遠く離れていても、島根県と聞くと心がざわつく。まして大社となるともう穏やかでは居られない。私の体にはやはり出雲国の血が流れていることを実感するのだ。
 今朝の「ひぐらしの記」はまさに私の心に出雲の地のあの神々しい空気が蘇ってきた。大社高校の若き生徒達の活躍もさることながら、全国の神々が集まる彼の地に思いは募るばかりである。前田さん、ありがとうございます。

夏は終わりかけている

8月20日(火曜日)。就寝前には四囲の網戸から風が吹き込んでいた。いつもは網戸にカーテンを掛けて寝るのに、そのためすべての網戸に窓ガラスを重ねた。起き出して来て、傍らの窓ガラスを開いた。びっくりするほどに冷えた風が吹き込んだ。直下の道路を眺めた。雨は降っていない。けれど、満遍なく薄く濡れている。就寝前および就寝中にあっては、雨には気づかなかった。気づくほどの雨は降らなかったのであろう。もちろん、雷鳴や稲光もしなかったのであろう。きのう、夕方に向かう頃であろうかテレビ画面の上部には、埼玉県のあちこちにおける大雨情報が盛んに流れ続けていた。雷の発生状況も伝えていた。ところが、神奈川県には一日じゅう雨は降らなかった。私は身勝手にも埼玉県の豪雨のほどなど知らぬが仏で、神奈川県と言うよりずばり、鎌倉地方への雨降りを願っていた。しかし、この願いは叶えられないままに寝床に就いた。ところが、起き出してみると、止んでいるけれど、雨降りの跡が見えたのである。そして、雨が降ったせいなのか、心地良い涼風(すずかぜ)に遭遇したのである。私は埼玉県に降った雨の余波に感謝した。そうこうしているうちに、夏は過ぎ去るのであろうか。すると、これまた身勝手だけれど、行く夏を惜しむ気持ちが紛然としている。きょうは起き立ての20分間ほどのとりとめのない文章で、結び文にするつもりだった。ネタが浮かばないかなしさ、なさけなさゆえである。しかし、以下に番外編を書き足すことにした。それは試合自体はテレビ観戦を遠ざけているけれど、ニュースなどから聞き知る、夏の高校野球にかかわる話題である。あっぱれのその一つは、大沢さまゆかりの島根県代表校「島根県立大社高校」の活躍ぶりである。大社高校は公立でありながら、いずれも私立高校で、先ずは強豪高校の報徳学園(地元、兵庫県代表校)、次には創成館高校(強豪、長崎県代表校)、そして準々決勝戦においては早稲田実業高校(強豪、西東京代表校)を下し、準決勝戦では神村学園(強豪、鹿児島県代表校)と対戦した。ここでは負けて、決勝戦へ臨むことはできなかった。それでも大社高校は、大きな明るい話題と、さわやかな好印象をかっさらったという。私が不断馴染みのない大社高校の活躍ぶりに目を細めたのは、大沢さまのご両親にちなんで、出雲市や「出雲大社」を浮かべてのことである。もとより、縁もゆかりもないとは言い切れず、書きたくなったのである。高校野球は、準決勝戦と決勝戦を残すのみである。夏は終わりかけて、セミは鳴き焦っている。

夏の行楽、好事魔多し

8月19日(月曜日)。職業や仕事を持つ人にとっては、行楽や享楽の後の物憂い仕事始めの人なろう。あらためて机上のカレンダーに見入っていると、先週末の10日(土曜日)から、「山の日」(11日・日曜日)、そしてその振替休日(12日・月曜日)、さらには「8月盆」の4日(13日・火曜日から16日・金曜日)、続いてまた週末2日(17日・土曜日)と18日(日曜日)となり、人によっては長い休日が可能な日が続いていた。現役時代を浮かべれば、涎が垂れそうな日が刻まれていた。しかし、この間の私は、行楽や享楽にはありつけず、悶々と怠惰な日暮らしを続けていた。いや、この間のわが日暮らしは、もはや呼吸を続けるだけの「生きる屍(しかばね)」状態だった。実際には「パリオリンピック」のテレビ観戦は打ち止めとなり、一方ではひたすら雨乞いを続けていた。ところが、雨をもたらしたのはこともあろうに台風7号だった。幸いにも台風7号は、鎌倉地方に限ればミニの雨台風どまりで大過なく過ぎ去った。台風接近のニュースを懸念していただけにこの喜びは、私には享楽におぼえていた。この間、日本社会全体で言えば暑熱著しく、日々どこかで熱中症アラームが鳴り響いていた。加えて、テレビ画面にはこれまた日々どこかで、地震発生のテロップが流れ続けていた。お盆、学校の夏休み、さらには企業の夏季休暇、また有給休暇を利用しての長い休暇を貪る人もいた。まさしく、国内外そしてふるさと帰りなど、夏の行楽シーズンたけなわのゴールデンウイークさながらだった。そのぶん、夏特有の事故が頻発していた。具体的には車での往来による交通事故、海や川における水難(事故)が多発していた。これらの中で私が眉を顰めたのはやはり、水浴びや水遊び中の事故だった。子どもの頃の私は、夏の間は来る日も来る日も「内田川」の水遊びに耽っていった。それでも、水難に遭うことはなかった。ところが、川や水における事故のニュースを聞くたびに私は、当時がよみがえり戦慄をおぼえていた。他人事(ひとごと)に思えず、行楽中の事故はきわめてつらいニュースだった。行楽明けの月曜病は、我慢するよりしかたない祭りの後の災難である。私は人様の行楽を妬(ねた)むことなく、いや同情しきりである。いよいよ夏は盛りを過ぎて、夜明けの風は、秋モードになりつつある。つれて、夏特有の事故のニュースが遠ざかるのは幸いである。

雨台風の恵み

8月18日(日曜日)。台風は九分九厘の害と、一厘の益をもたらす。こんな突拍子もないことを心中に浮かべて、起き出している。台風のもたらす害は、あえて言うこともない。だから、益と感ずることだけを書けばこんなことが浮かんでいる。特に今回の台風はわが家周辺に限れば、日照り続きを断って、恵みの雨をもたらしてくれた。きのうは、こちらは無限に台風一過の日本晴れを忘れず恵んだ。加えて、きょうの夜明けにあっては季節を変えて、網戸から爽やかな秋風が吹き込んでいる。こんなに益があるのに、たった一厘ではすまなくて、一分に置き換えていいのかもしれない。こんなことをネタ代わりにするようでは、もはや「ひぐらしの記」はおしまいである。だから、この先は書き止めにして、道路の清掃へ足を運ぶことを決意した。きのうの夕方には、ようやく乾ききった落ち葉を70リットル入りの透明袋に詰め押し込んだ。ゆえに今朝は、その仕上げ作業である。確かに、大量の落ち葉で手を焼いたけれど、きのうだけは台風のせいにはせずに、懸命に掃いた。それほどに台風のもたらした雨は、わが気分を和ましていたのである。道路の掃除を終えれば、雨にふやけた土壌から、庭中の夏草を引き抜くつもりでいる。尻切れトンボ、悪しからず。だけど、爽やかな秋風がわが心身を潤している。行く夏を惜しんで、ウグイスが鳴いている。

ミニ台風去って、秋の装い

8月17日(土曜日)。台風7号一過の清々しく晴れた、夜明けが訪れている。恐怖心を抱いてその上、なんらかの被害を懸念していた台風7号は、恵みの雨をもたらしただけで、大過なく過ぎ去っている。しかし、わが家には被害なくとも、台風の渦に巻き込まれた人の多くは必定、大小の災難を被る。これすなわち、台風に付きまとう災いの掟(おきて)である。ゆえにわが家に被害なく、自分自身、ホッと安堵するのは不謹慎であろう。それでもやはり、待ち望んでいた雨を降らしただけで過ぎ去った台風はありがたく、(あっぱれ)と、胸の透く思いがある。わが家にかぎれば恵みの雨をもたらしただけの「雨台風」だったのである。パソコンを起ち上げる前に私は、台風接近のニュースにともない、閉め切っていた四囲の雨戸のすべてを開いた。まずは、直下の道路を凝視した。そして、山の木々を揺らし、落とされた木の葉の量を確かめた。ところが、手に負えないほどでもない。だから私は、昼間へ向かい道路が乾いてきたら、台風一過の道路の掃除へ向かう決意をした。わが気分、山の木々、そして庭中の雑草ほか道端の草類のすべてが、台風がもたらした雨で潤っている。まったく久しぶりに遭遇している、雨上がりの夏の朝の好い気分である。おのずからわが心象は、久しく絶えていた「自然界、礼賛」のさ中にある。しかしながら台風7号は、この先訪れる本格的台風シーズンの先駆け、小手調べ程度にすぎない。今回は運が良かっただけであり、もとより台風を見くびってはいけないと、あらためて私は肝に銘じている。なぜなら、台風に屋根を吹き飛ばされた記憶は未だに生々しく消えることなく、心の襞(襞)に貼り付いたままである。台風に纏(まつ)わる、わが生涯において消えることのない忌々しい記憶である。私はしばし指先を休めて、雨戸を戸袋に押しやり、前面の窓ガラスを通して広がる、さわやかな日本晴れを眺めている。「8月盆」はきのうの送り日(火)で過ぎ去った。「立秋」(8月7日)はとうに過ぎて、眺めている大空は天高く秋のたたずまいにある。ミニ台風無難に去って、恐れているのは、近づく本格的台風シーズンである。