8月21日(水曜日)。網戸を覆った窓ガラスを開くと網戸から、熟(う)んだ夏風に変わり、初心(うぶ)な初秋の風が爽やかに吹き込んだ。季節はすでに夏を過ぎて、すっかり秋モード(装い)にある。いくらか寂しく、いくらかうれしい感情が迸(ほとばし)る。確かに窓の外は、夏の朝から秋の朝の風情(ふぜい)にある。輝く朝日は、柔らかな光である。この文章は短く結んで、涼しい朝のうちに庭中の夏草取りへ向かつもりでいる。もちろんそれは、道路の掃除の後になる。郷愁、望郷、懐郷、そしてずばり「ふるさと慕情」など、異郷にあって故郷を恋い慕う心情やそれを表す言葉は数多ある。だからわが能力では、それらを書き尽くすことはできない。起き立ての私は、こんな思いを抱いていた。すなわちそれは、人間心理においてふるさと慕情ほど摩訶不思議なものはないという思いである。この心理の発露をなしたのは、きのうのこのときである。きのうの文章にあっては思いがけなく、大沢さまからうれしいコメントをさずかったのである。そのコメントは、大沢さまのふるさと・島根県出雲市、なかんずく大社町・「出雲大社」への望郷だった。このコメントに出合うとわが心理もまた、にわかに懐郷をくすぐられて否応なく増幅した。その証しにはすぐに、追っかけのコメントを書かずにおれない心模様を成した。このとき、私はふるさと慕情の摩訶不思議さにとらわれていたのである。なぜなら、今や故郷と名を変えているわが生誕地(当時、熊本県鹿本郡内田村。現在、山鹿市菊鹿町)の生活は、高校を卒業するまでの18年間にすぎなかった。そして現在の私は、誕生以来84年を刻んでいる。すると、84年における18年は短い年数である。なお、短い18年から、物心がつくまでの年数を減じれば、実質の生誕地に纏(まつ)わる生活や感情は、10年余りと言えるにすぎない。ところが、わが84年の心理状態にあっては、18年にすぎない故郷生活がふるさと慕情を成して、埋め尽くされている。まさしく、ふるさと慕情の摩訶不思議さのゆえんである。そして、この心理状態を文章にすると、短くつもりのものがエンドレスになる。ゆえに、これを断つには苦悶を強いられる。それでも、断つ決意をして、尻切れトンボの文章を恥じず、初期の行動へ向かうこととなる。涼しい内を願っていたけれど、時が進んで朝日は昇りすぎている。尽きない、ふるさと慕情のせいである。