8月17日(土曜日)。台風7号一過の清々しく晴れた、夜明けが訪れている。恐怖心を抱いてその上、なんらかの被害を懸念していた台風7号は、恵みの雨をもたらしただけで、大過なく過ぎ去っている。しかし、わが家には被害なくとも、台風の渦に巻き込まれた人の多くは必定、大小の災難を被る。これすなわち、台風に付きまとう災いの掟(おきて)である。ゆえにわが家に被害なく、自分自身、ホッと安堵するのは不謹慎であろう。それでもやはり、待ち望んでいた雨を降らしただけで過ぎ去った台風はありがたく、(あっぱれ)と、胸の透く思いがある。わが家にかぎれば恵みの雨をもたらしただけの「雨台風」だったのである。パソコンを起ち上げる前に私は、台風接近のニュースにともない、閉め切っていた四囲の雨戸のすべてを開いた。まずは、直下の道路を凝視した。そして、山の木々を揺らし、落とされた木の葉の量を確かめた。ところが、手に負えないほどでもない。だから私は、昼間へ向かい道路が乾いてきたら、台風一過の道路の掃除へ向かう決意をした。わが気分、山の木々、そして庭中の雑草ほか道端の草類のすべてが、台風がもたらした雨で潤っている。まったく久しぶりに遭遇している、雨上がりの夏の朝の好い気分である。おのずからわが心象は、久しく絶えていた「自然界、礼賛」のさ中にある。しかしながら台風7号は、この先訪れる本格的台風シーズンの先駆け、小手調べ程度にすぎない。今回は運が良かっただけであり、もとより台風を見くびってはいけないと、あらためて私は肝に銘じている。なぜなら、台風に屋根を吹き飛ばされた記憶は未だに生々しく消えることなく、心の襞(襞)に貼り付いたままである。台風に纏(まつ)わる、わが生涯において消えることのない忌々しい記憶である。私はしばし指先を休めて、雨戸を戸袋に押しやり、前面の窓ガラスを通して広がる、さわやかな日本晴れを眺めている。「8月盆」はきのうの送り日(火)で過ぎ去った。「立秋」(8月7日)はとうに過ぎて、眺めている大空は天高く秋のたたずまいにある。ミニ台風無難に去って、恐れているのは、近づく本格的台風シーズンである。