前田静良

ひぐらしの記

二月十日、降雪予報

夜明け前の暗闇にあって、起き出して来るや否や、窓ガラスに掛かる布とレースの二重ねのカーテンを開いた。おおっ、手の甲に雨粒が当たった。すばやく、手を引っ込めた。一基の外灯が照らす、道路に目を凝らした。まだ、雪は降っていない。寒気を表す体感温度...
ひぐらしの記

ままならない、睡眠生活

きのうは二度寝にありつけて、逆に寝すぎて慌てふためいて、きょう(二月九日・水曜日)へ繋げるだけの文章を書いた。ところがきょうは二度寝にありつけず、長いあいだ悶々として、寝床で夜明けの訪れを待っていた。それでも待ちきれずに、ヨタヨタと起き出し...
ひぐらしの記

頓挫を恐れて……

「ひぐらしの記」の頓挫期間を顧みた。すると、昨年(令和三年)の十二月十二日に書いて以来頓挫し、今年(令和四年)の二月一日から、ヨロヨロ立ちで書きか始めている。まったくおぼつかない足取りである。この先が思いやられるところである。確かに、文章と...
ひぐらしの記

一陽来復

立春が過ぎて、確かに春は来ている。半面、立春が過ぎたばかりなのだから、まだ冬とも言っていいだろう。むしろこのほうが、感覚的にはぴったりする。  この冬、すなわち令和四年のこの冬は、飛びっきりの寒さに見舞われている。日々、伝えられてくる北の地...
ひぐらしの記

太陽光線、礼賛

昼と夜、昼間と夜間、朝方と夕方、そして昼前と昼下がり。浮かぶままに書いたけれど、もちろん一日(二十四時間)の区分は、なおさまざまに言い表される。おのずからこれらのすべてに、太陽光線がかかわっている。大雑把に言えば太陽光線の有る無し、あるいは...
ひぐらしの記

日向ぼっこ

茶の間で、窓ガラスから射し込む暖かい陽ざしを背中いっぱいに受けて私は、まさしく季節の春と、この世の春のコラボレーション(共感)に浸りきっていた。心身には生きている悦びが満ちあふれ、同時に快い眠気をもよおし夢心地に陥っていた。ふあふあとした夢...
ひぐらしの記

立春

寒気を遠のけて、よちよち歩きの春が来た。それでも、確かな春の足音である。庭中の梅の木の蕾は、ほのかに綻びはじめている。同時に願っていたわが家の春は、いまだ蕾にはなりきれず、それ欲しさにせっせと途中を歩いている。しかし、いっときの暗闇は抜けて...
ひぐらしの記

「一日多善」

学童の頃にあっては何かにおいて、「一日一善」を目標に掲げていた。すると、この目標は主に、家事手伝いで叶えていた。これには、子どもなりの魂胆があった。それを果たすと母ちゃんは、坊主頭をなでなでして、「とても、ありがたいばい!」と、言ってくれた...
ひぐらしの記

華の兄弟・惜別

限りなく惜しむにあって、多言は要しない。けれど、胸中には尽きることなく、称える言葉が浮かんでくる。出色、花形、人気。そして英傑、などなど。二人して一世を風靡、すなわち昭和時代を華やかに彩られた文字どおりの「華の兄弟」にあって、兄・慎太郎氏が...
ひぐらしの記

二月一日

今や寝床は歩んで来たわが人生行路を振り返る、悲喜交々の回り舞台と化しています。おのずから寝床は、安眠を貪る安らぎの場所ではとうにないです。寝床の中では、神社仏閣の境内で走馬灯が回るかのように、いろんなそしてさまざまな過去劇が洪水の如く、わが...