ひぐらしの記 続編、「時のめぐりの速さ感」、そして嘆息 きのうの「昭和の日」(四月二十九日・金曜日)にあっては、私は時の速めぐり感を書いて、遣る瀬無く嘆息した。きょうの文章はそれに輪をかけて、二番煎じさらには三番煎じとも言える続編である。しかし、あえて言えばそれらには、わが実感する確かな違いがあ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 ゴールデンウイーク、「昭和の日」 四月二十九日(金曜日)、きょうは令和四年(2022年)のゴールデンウイークの初日に当たる「昭和の日」(休祭日)である。とりたてて募る思いはないけれど、あえて記すと一年のめぐりの速さ感の横溢まみれにある。年齢が加わるにつれて私は、転んで怪我な... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 人の命 どうにもならない自然災害などで奪われる人の命には、ただただ忍び難い気持ちが充満する。軽率きわまりない人の行為で奪われる人の命には、ただただ腹立たしさだけが充満する。このたびの「北海道・知床半島沖、観光船事故」のニュースを聞いたおりの、苦々し... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 早やてまわしの「五月晴れ」にあって、嗚呼、無題 照る日、曇り日、雨の日、ぐずつくこのところの天候状態の表現である。本当はこれらに、雨まじりの小嵐を含めたいところではある。四月二十五日(月曜日)、夜明けにあってきょうの昼間は、どれに落ち着くであろうかと、いくらか思いあぐねている。なぜなら、... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 新緑が恵む「至福の時」 四月二十四日(日曜日)、薄曇りの夜明けである。夜来の雨はなく、道路は乾いている。こんな日は、夜明け時の道路の掃除が気になるところである。 起き立て真っ先に、私はレースのカーテンを開いて、窓ガラス越しに道路に目を凝らした。すると、幸いなるか... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 嗚呼、無常、そして無情「トラキチ」 四月二十二日(金曜日)、またもや雨上がりの夜明けである。道路は濡れている。そのせいで、一つのわが日課は、用無しである。ありがたいことではあるけれど、気分は憂鬱状態にある。いくら「ひぐらしの記」とは言え、こんなことばかりを書き続けているようで... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 渇望する「二度寝」 四月二十一日(木曜日)、朝日が大空をほのかに赤く染めている、夜明け時にある。一時過ぎからとうとう、二度寝にありつけずに、夜明けを迎えている。このため寝起きの私は、憂鬱病に罹っている。 途轍もなく長い時間、眼明(めあき)きを食らっていたこの... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 朝飯前 四月二十日(水曜日)、またしても小雨まじりの小嵐の夜明けである。夜が明けるのは太陽の恵みである。とりわけ、朝日が輝いて明けるのは、一等賞の恵みである。この点、きょうの夜明けには、一等賞はお預けである。だからと言って、ビリの夜明けと、蔑(さげ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 生存は一語で、「尊厳」 四月十九日(火曜日)、久しぶりに夜明け前に起き出して、文章を書き始めている。だからと言って、長い文章は書かない。なぜならきのうは、独りよがりに長いメディアの配信ニュースの引用を試みた。このことでは、いまなお詫びたい気持ちが山々である。 こ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 野球界の傑物、佐々木朗希投手 確かに、世に稀な傑物は、どんな分野にも存在する。だからわが勝手に、「野球界の傑物」と名付けた。きょう(四月十八日・月曜日)はわが文章にあらず、再び、同一人物で記録に留める、メディアの報じる引用文である。すっきりしない夜明けの天候のもたらす、... ひぐらしの記前田静良