ひぐらしの記 番外編、村・町・街・大都会 村で生まれ、高校は町へ通い、勤務時代は街の生活に明け暮れました。60歳定年後のこんにちまでは、村・町・街、らしい入り乱れる生活に身を置いています。 きのう(3月13日・水曜日)の「バスツアー」の第一の目玉は、「成田山新勝寺」(千葉県成田市)... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 華の親子道中 3月13日(水曜日)。現在のデジタル時刻は真夜中(1:09)。わが心中には二つの成句が浮かんでいる。一つは、ずばり「年寄りの冷や水」である。そして一つは、季節外れだが「飛んで火に入る夏の虫」である。もっと適当な成句があるとは思うけれど、わが... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 春の訪れ、迷い言 3月12日(火曜日)。卓上カレンダー上には、「奈良東大寺二月堂お水取り」と記されている。古来、伝統ある歳時(記)なのであろう。しかしながら私は、どんな催しなのか、まったく珍紛漢紛である。ゆえに私は、この文章を閉じれば、パソコン上のインターネ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 春の寝坊助 3月11日(月曜日)。寝坊したため文章は休みます。夜明けの天気は晴れて、寒気は緩んでいます。『HIROKIのタレント日記』に救われています。短い文章には、作者高橋弘樹様のお人柄と優しさが溢れています。 きょうの過去のある日は、「東日本大震災... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「『ひぐらしの記』がもたらしている僥倖」 3月10日(日曜日)。歳月日時はまるで、鉄棒競技の大車輪のごとくに速く駆けめぐる。もちろん、知恵多い、人間の手に負えるものではない。とりわけ、老いの身を生きる私には、唖然とするばかりである。嘆いてもしようがないことだけれど、私は日々嘆いてい... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 生きている 3月9日(土曜日)。今現在は(4:45)、生きて起きている。しかし、この先はわからない。命の絶えは、時を置かずかつ一瞬である。窓を開けた。雨や雪はなく、風も感じない。窓を閉めた。それでも、寒気が身に沁みる。おのずから心中に浮かぶのは、「能登... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 小雪の夜明け 3月8日(金曜日)。きのうに続いて、パソコンを起ち上げる前に、二つの行為をした。今や、起き出して来て、ほぼ行うルーチン(決まり切った行為・動作)である。 きのうの気象予報士は、きょうの天気予報に際して、関東地方には降雪と伝えた。天気図上のわ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 春先の気迷い文 3月7日(木曜日)、カレンダー上には「消防記念日」という添え書きがある。起き出して来て窓ガラスを通し、私は真っ先に外の様子を見た。一基の外灯は、風雨なく乾いた道路を照らしていた。わが身体に寒気は遠のいて、私はのんびりとキーを叩き始めている。... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 春は悪魔 3月6日(水曜日)、わが身体は寒さでブルブル震えている。いまだ夜明けまでは遠く、夜の佇まいにある(3:52)。部屋の中は夜の静寂(しじま)とは言えない。なぜなら、戸袋の雨戸は風の音で、頻りに打ち鳴らされている。雨戸を閉めていない前面の窓ガラ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 啓蟄 季節のめぐりはカレンダーに記されている。きょう(3月5日・火曜日)には、二十四節気の一つ「啓蟄(けいちつ)」と、記されている。啓蟄は、机上の電子辞書にすがることもなく知りすぎている。蟄居(ちっきょ)とは、虫が地中に潜っていることを言う。そし... ひぐらしの記前田静良