春の訪れ、迷い言

 3月12日(火曜日)。卓上カレンダー上には、「奈良東大寺二月堂お水取り」と記されている。古来、伝統ある歳時(記)なのであろう。しかしながら私は、どんな催しなのか、まったく珍紛漢紛である。ゆえに私は、この文章を閉じれば、パソコン上のインターネットで学ぶ心づもりにある。
 きょうの天気は雨の予報である。ところが、雨はきょうかぎりで、あすは晴れの予報である。冬の雨には濡れたくない。春の雨には濡れても構わない。もとより、氷雨と暖雨の違いである。これまで、呆れかえっていた季節狂いの春は、ようやくきのうあたりから本来の春の訪れにある。今のところ窓の外には雨降りはなく、パソコン部屋は頭上に二輪(にわ)の蛍光灯がともる、夜の静寂(しじま)にある。先ほどの洗面における蛇口の水は温んでいて、私は怯えず隈なくかつたっぷりと顔面を濡らした。パソコンを起ち上げて椅子に座す現在(4:21)、寒気は緩みこれまたまったく怯えはない。
 こんなのどかな季節、いや春の訪れにあって過去(13年前)には、「東日本大震災」(平成23年・2011年3月11日14時26分)が起きたのである。地震は、季節構わず起きる証しでもある。きのう(3月11日・月曜日)のテレビ映像にはほぼ一日じゅう、この地震にまつわる厳粛な祈りの儀式、さらには様々な悲しい光景が映し出されていた。時あたかもことしの初日(令和6年・2024年1月1日)には、「能登半島地震」が起きた。こちらには「大震災」という冠は付いていないけれど、実際の惨状は「能登半島大震災」が適当であろう。いや、震災は大小にかかわらずどれもこれもが大震災である。命名は大事である。なぜなら、命名を誤れば惨状を伝えきれないところがある。震災地および被災者にすれば、メデイアのニュースからは外れても、悲惨きわまりない大震災同然である。
 日本列島に住むかぎり国民は、常に大小の地震の恐怖に晒されている。きのうの私は、ひっきりなしに現れる「東日本大震災」の映像に身を竦めていた。挙句、身勝手なことだけれど、わが生存中にあっては、震災に遭わないことを願っていた。相対する妻の身体は、悲惨な映像が現れるたびにブルブル震えていた。ようやく、待ち望んでいた「春」が来た。地震さえなければ日本国民にとっては、「わが世の春」である。学び舎は、どこかしこ卒業式たけなわの頃にある。翻って私の場合は、寒気に震えることなく、のんびりと文章が書ける季節の到来である。文章の出来不出来はともかく、心身は寒気に凍えることなく和みにありつけることとなる。
 杉山に囲まれたふるさと時代に耐性ができたのか、幸いにも私には花粉症状はない。春が来て困るのは、暖気に緩む脳髄のボケふやけである。ボケふやけの試しは、「奈良東大寺二月堂お水取り」の学びになりそうである。