3月7日(木曜日)、カレンダー上には「消防記念日」という添え書きがある。起き出して来て窓ガラスを通し、私は真っ先に外の様子を見た。一基の外灯は、風雨なく乾いた道路を照らしていた。わが身体に寒気は遠のいて、私はのんびりとキーを叩き始めている。きのうの昼前あたりから、ようやく陽射しが見え始めた。すると私は、茶の間のソファから立ち上がり、勢い込んで買い物支度を始めた。わが突然の豹変を見て、相対していた妻は、呆気にとられていた。そして、その表情にひとこと加えた。
「パパ。買い物へ行くの? また、雨降るわよ!」
「行ってくるよ」
私は普段の買い物のいで立ちで、大船(鎌倉市)の街へ出かけた。買い物を終えて、わが家に帰り着くまで、雨は降らなかった。その後も、風雨は去ったままだった。そして現在(4:20)、風雨および寒気共になく、ようやくこのところの気狂いの気象は落ち着き始めている。夜明けてその先、春の陽気になれば万々歳である。
気分が緩んでいるせいか、私は心中にこんなことを浮かべている。現行のわが身体の補強行為は、ざっとこんなところである。すなわち、目には眼鏡、耳には補聴器、そして口内には差し歯と入れ歯がある。一方、命の延長策には有償の医療行為を行っている。それらは、こんなオンパレードである。緑内障の進行防止には一日に一度の点眼液。便通を促す薬剤は朝夕の服用。腎不全と悪玉コレステロールの改善薬剤は、前者は朝一度、後者は夕一度。これらに加えて、予約通院を繰り返しているのには、半年ごとに訪れる緑内障の経過観察がある。
これらに無償の散歩、テレビ体操、欲張って軽い筋トレが加われば、命の延長策は「鬼に金棒」である。ところが、生来怠け者の私には、これらはまったくの縁無しである。無償で済むことゆえに、もったいないとは思うけれど、どれも果たせず残念無念である。挙句、身体の補強行為そして命の延長策共に、多額の医療費まみれを被っている。まったくなさけない。
きょうはいくらか短く、こんな無粋なことを書いて、結文を決め込んでいる。半面、このところのだらだらの長い文章の償いと詫びとするものである。私は、きょうあたりから春本番の陽気の訪れを願っている。もちろん、地中の虫たちも、願っているはずである。ただ、「救急車」の走り回りだけは、真っ平御免蒙りたいものである。いまだ夜明け遠く、きょうの天気を知ることはできない。