坂本弘司撮影 十月八日に冬の野菜の種を蒔いた。私の家の近くには野菜の種を売っている店がなく、去年、家から徒歩で二十分あまりの百円ショップで売っていることをつきとめた。ところがそのときはすでに冬野菜の時期は過ぎていて、今年の春を待ってようやく買うことができた。 十月十三日(木曜日)、いまだ暗闇の夜明け前にある。パソコンを起ち上げたけれど、気分が乗らず長く机上に頬杖をついている。気分喪失の原因は体調不良に加えて、パソコン操作の未熟さが起因している。世の中はパソコンにかぎらず、すべてに日進月歩、デジタル社会を強めるばかりである。それゆえにこれらに不得手の私の場合は、日常生活が鬱陶しさまみれにある。一方、あらゆるデジタル機器を駆使できる人には、確かにきわめて便利かつ有効な社会であろう。だから、無能の私からしたらそれらは、どんなに崇めても崇めきれない、羨望著しい人たちである。私にとってデジタル社会は、恨めしさつのるばかりである。もちろんそれは、私だけのデジタル事情である。日常生活にあってもう一つ鬱陶しさおぼえているものには、ポイント(固定客引き込みのオマケ)社会がある。これまた、無能ゆえのわが固有事情の鬱陶しさである。テレビ通販の誇大広告も耳障り激しく、鬱陶しいかぎりである。結局、無能の私にとって文明の利器社会は、きわめて生きにくい社会である。しかしながら、わが固有事情であるゆえに、これらに泣き言は言っても、もとより逆らうことはできない。なぜなら、確かにデジタル社会は、総じて便利な世の中を生み出し、この先へ向かっていっそう加速度を強めて、進化するばかりである。挙句、これに取り残されているわが身の無能を嘆くより仕方ない。再び書けばデジタル社会は、私にかぎればきわめて生きにくい世の中である。ネタのないパソコン生活は苦痛である。頬杖をついているうちに、薄っすらと夜が明けてきた。風雨まじりの夜明けである。 わたしの作品を思い出して下さり有り難うございます。読んでくださる方がいるのも嬉しいのですが、心に思いとどめてくださるのはなおさら喜びです。作品を生み出すのは大変です。明けても暮れてもそのことばかりが気にかかり、重苦しい日常になってしまいます。そんなに苦しいのであれば、止めれば良いのにとどこからかささやきが聞こえてきます。それでもその声に引きずられてしまったら、私の日常は味気ないものになってしまいます。 十月十二日(水曜日)、起きて、パソコンを起ち上げても書くこともない。こんな心境が果て無く続いている。私は、もう止め時と際限なくつぶやいてきた。ところが、なかなか見切れず、牛の涎のごとくだらだらと続けている。挙句、味もそっけもない文章に陥っている。自業自得とはいえ、常連にあずかってきた人さえ、少なくなってしまった。ゆえに現在の心境は、部活やスポーツ競技において、練習ばかりで試合には出られない人の切なさ、侘しい心境に似ている。無理して何かを書こうと思えば、こんなくだらないことしか書けない。こんな文章の唯一の取り得は、生きている証しにすぎない。この文章、ここでやめようかと思う。しかし、せっかくだから、世の中の一つや二つ、三つのことを書いてみる。一つは、ウクライナは連日戦争状態で、実際のところはどんな状態であろうか。連日戦争状態であれば、国は破綻していると思うところがある。一つは、幸いにもこのところのコロナの感染選者数は、ようやく漸減傾向にある。うれしいかぎりである。これに関してわが望むのは、だれもがマスクを外した生活への復帰である。マスク生活は自分自身鬱陶しいし、さらに人様のお顔の見えないことは、生活の面白味を欠いている。最後の一つは、経済活動の後押しとはいえ、旅行へ行く財力のある人へ、あえて税金で補助をする必要があるであろうかという、下種の勘繰りである。すなわち私には、税金の使い道の不公平感が渦巻いている。約二十分間の書き殴りで、文章を閉じる。能無し野郎の切なさが込み上げている。夜明けの空はわが心象のごとく、どんよりとして今にも雨が落ちてきそうである。こんな文章は、無理して書かなきゃ良かった。寝坊助の後の祭りである。 十月十一日(火曜日)、三連休明けの夜明けは、雨なくのどかに明けている。手元にカレンダーがなく、きのうの表題では、失態を演じた。脳裏にこびり付いていた「体育の日」は、二年前(2020年)から「スポーツの日」と呼称を変えて、設定日を替えていた。飛んだしくじりだったけれど、そんなに罪意識はない。きのうの私は、みずからの身体は茶の間もソファに凭れたままに、二つのスポーツのテレビ観戦に興じた。もとよりこんなスポーツの日は、設定の趣旨に副うものではなく、大いに慎むべきところではある。ときにはソファから身を起こし、テレビ体操に合わせて柔軟体操でもすれば、いくらか設定趣旨に副うところはある。ところが私は、それさえせずにミノムシさながらに、ソファにべったり張り付いていた。テレビ観戦の一つは、大学三大駅伝の一つである「出雲駅伝」であった。出雲は、大沢さまのふるさとである。私は、かつて大沢さまが書かれたご姉妹三人のお母様の納骨紀行文を懐かしく蘇らせていた。それゆえ、大沢さまに何度か電話を入れようかと思いながらも果たせず、観戦を続けた。もう一つはプロ野球、阪神タイガース対横浜ベイスターズの第三戦(最終戦)のテレビ観戦だった。こちらはタイガースが勝利し、次のステップで東京ヤクルトスワローズ戦へ進んだ。結局、スポーツの日は、みずからの身体はソファに張り付いたままに、人様が為すスポーツのテレビ観戦で終始した。しかしながら気分は、晴れ晴れとした。このことでは他力本願にすがり、スポーツの日に報われた気分だった。すなわち、きのうスポーツの日は、二つの競技のテレビ観戦に興じて、気分晴れ晴れの清々しい一日だった。老躯に鞭打つスポーツは沙汰止み、もっぱらテレビで観るスポーツに変わっている。それで気分が晴れれば、越したことはない。なぜなら、粋がってやって、挙句転んで腰でも傷めれば、年寄りの冷や水となり、バカ呼ばわりされるだけである。夜明けの空は、淡い日本晴れに変わっている。 きょうは「体育の日」(十月十日・月曜日)、三連休最終日にあっても、とうとう雨まじりのぐずついた夜明けを迎えている。目に見えない天界の事情は知るよしないけれど、損々気分横溢である。日本列島のきょうあたりは、好季節の秋の真っただ中にあっても、飛びっきりの好天にあずかれるはずである。ところがきょうと言わず三連休の天候は、好季節の恩恵を遠のけたままである。もとより体育の日は、好季節および好天をあてにして、国民の健康増進の一助を願って、国の祝祭日として設けられている。これに呼応し体育の日にあっては、学び舎では運動会、自治体などでは市民体育祭などが集中的に行われている。これらのことをかんがみれば、とんだ悪天候の夜明けである。運動会や体育祭にかぎらず、このおりの三連休は絶好の物見遊山の機会でもある。ところが、天候のぐずつく三連休は、それらの多くを台無しにして終わりそうである。つくづく残念無念である。翻って私の場合は、夏風邪以降いまだに治りきらず、加えれ諸々に体調を崩している。それにより、今なお憂鬱気分を引きずっている。憂鬱気分は、文章を書く気分を殺いでいる。挙句、こんな愚痴こぼしを二か月余も書いている。それゆえ、パソコンを起ち上げる前はいつも、(きょうは休もう)という気分が心中に渦巻いている。きょうもまたそんな精神状態でパソコンを起ち上げ、こんな文章を書いている。自分自身なさけないと同時に、かたじけなく思うところである。この先、書く気分を失くしている。ほとほと、なさけない体育の日である。 十月九日(日曜日)、どんよりとした曇り空にあって、雨のない夜明けが訪れている。明日の天気予報は聞いていないけれど、行楽日和とは言えそうにない三連休半ばの空模様である。起きてきて、生きている証しの文章を書いている。きのうの昼間は、プロ野球、阪神タイガース対横浜ベイスターズ戦のテレビ観戦に興じた。試合は今シーズンの公式戦を終えたのちの、クライマックスシリーズの初戦だった。どちらかが二勝すれば、次のステージへ臨めることになる。次の相手は、今シーズンの公式戦で優勝した東京ヤクルトスワローズである。きのうの試合は、タイガースが勝った。それゆえきょうも勝てば、タイガースは次のスワローズ戦へ勝ち進むことになる。負ければ、明日の試合でどちらかに決まる。きょうもまたわが夫婦は、身構えてテレビ観戦をすることとなる。夜は、世界卓球選手権のテレビ観戦に見入った。男子は準決勝で中国と対戦した。結果は2対3で惜敗した。しかし、日本チームは予想を超える大奮闘だった。女子は決勝戦で、これまた中国と対戦した。試合結果は、0対3の完敗だった。中国の強さが際立った。しかしながら、男女両チームともに、神業とも思える技量を発揮した。神業とは、人間業ではないという決まり切った表現である。私は、中国であろうと対戦国にお構いなく、技量を称賛し堪能した。男女とも中国に負けたとはいえ、私はまったく引けをとらない日本選手の技量の凄さに酔いしれた。結局、きのうの私は、昼夜のスポーツのテレビ観戦で、気分の良い一日を過ごした。きょうの私は、きのうに続いて「柳の下のドジョウ」を狙っている。ひたすら、他力本願にすがるわが生存である。 十月七日(金曜日)、夜明け未だしで、窓ガラスの外は暗闇である。雨は降っていないようだけれど、こののちの天候は、いまのところはわからない。体感で知り得るのは、きのうに続いて寒気が痛烈である。きのうの寒さは、わが身に堪えた。寒気の証しにはほぼ一日じゅう、人工の熱源(ガスストーブ)にすがっていた。現在の寒気からすればきょうもまた、きのうの日常生活の繰り返しになりそうである。できればそれは、真っ平御免こうむりたいところである。気象予報士だったか、それともテレビニュースのアナウンサーだったか記憶にないけれど、「秋が短くなりそう」と、言っていた。四季にあって秋が短ければ、その前後は長いことになる。ところが、すでに過ぎた夏は、残暑さえ撥ね退けて短く去った。そうであればこの先は、おのずから冬が長いことになる。そうであれば寒気を極端に嫌う私には、とんでもなく厳しい季節回りになる。体調不良で執筆は、今にも頓挫しそうである。体調不良に寒気が加われば、たちまち「ぐうの音」も出なくなる。私は長袖への衣替えどころか、早やてまわしに冬防寒重装備で、寒気に備えなければならい。九月に続いて十月もまた、異常気象となるのであろうか。ふるさとの柿は、すでに二度送られてきた。ところが、ふるさと産・新米の宅配は、まだかなり先になりそうである。すなわち秋は、いまだ真っ盛りとも言えないのに、もう秋仕舞いかな? とも思える予報を耳にした私は、一瞬度肝を抜かれた思いだ。わが身に堪えた「秋が短くなりそう」という、予報だったのである。世界中の科学者が警告する地球温暖化傾向など、私にはまったく実感するところはない。研究に研究を重ねた挙句、そんな嘘っぱちなど、私は聞きたくもない。へそ曲がりゆえにあえて記すと、地球寒冷化傾向であれば、大いに納得するところがある。結局、寒気を嫌う私は、秋短く、冬長い季節のめぐりは、懲り懲りである。夜明けて、曇天の寒空である。わが身は冷え切っている。 今朝は雨。夏の猛暑を忘れ去る嘘のような冷たい雨模様。私の庭には三十年以上も前に植えた四季咲きの椿(わび助)に蕾が出てきた。白とピンクの細い苗木を買って家の門柱の両側に植えたのだが、白の方はずっと前に枯れてしまった。うつむき加減に咲くこの花は、忘れている頃に咲く。静かなたたずまいで心を癒やしてくれる。 十月六日(木曜日)、体調不良による気分の滅入りに寒気が重なり、いっそう気分の萎えの増幅に見舞われている。寒気はいまだ緒についたばかりなのに、こんなことではこの先のわが身と気分が思いやられるところである。「好季節・秋」真っただ中にあってもわが気分は、その恩恵からすっかり遠のけられている。至極、残念無念である。ところが、このわが気分を見透かしてもくれたかのように、先日の姪夫婦から二度目の「柿、ふるさと便」が送られてきた。まさしく好都合、そののちの日々の私は、生柿を包丁で剥いては頬ばりながら、憂鬱気分癒しに与(あず)っている。柿自体、いっそう膨らみと黄色身を増し、よりいっそう食べごろに熟していた。ふるさとの柿は、まったく薬剤要らずの効果覿面の確かな処方箋(好意)である。ふるさと便は、段ボールに詰められた柿の旨味(うまみ)に加えて、文字どおり様々な「ふるさと情感」を蘇らせてくれるところがある。それゆえにふるさと便は、おのずから詰められた物(今回は柿)の旨味、甘味を増幅させる、魔法の便とも言えるものがある。「きょうは、休みます」と、書くつもりでパソコンを起ち上げた。ところが、出まかせにこんなことを書いてしまった。いや、ちょっぴり、書かずにはおれなかったのかもしれない。夜明けの空はきのうに続いて、どんよりとした寒々しい雨空である。秋空もさ迷っている。わが気分は、二度のふるさと便に助けられている。確かに、休むつもりだったこの文章は、ふるさと便の恩恵の証しである。柿は、たっぷりと甘味を増している。
私の畑
今回も時期を外れないように気をつけていて買うことができた。春菊、小松菜、サニーレタス、葉大根、小カブ、二十日プランター用のプランター用の有機土をネットで購入したら、西洋赤大根の種が五粒サービスされていた。三日で芽が出るとあったので蒔いたら確かに出た。
根がついてる小ネギを購入して、葉の部分を使用した後、いつも根の部分はプランターの土に植えておく。時間はかかるが、やがて葉が出て摘み取って食べている。
だいぶ前に葉がついたパイナップルを購入した。葉があまり立派だったので果実の部分は食べて、葉は鉢植えにして置いた。根付いたようで青々と元気だ。実が成るとは思えないけれど。なんとなく期待してしまう。
この秋も私の畑は全て芽が出て収穫が楽しみだ。嗚呼、嘆息
前田さんへ謝意
わが脳髄は、空っぽ
「スポーツの日」、明けて
体育の日
一日を生かされた、テレビ観戦
つらい予報「秋が短くなりそう」
私の庭
わび助は茶の湯の床の間の花として好まれる。茶道のお稽古に通っていた頃にこの花の魅力に惹かれて育ててみたいと思い、買い求めたのだった。お花とお茶を教えて下さった師匠ももうとっくに亡くなられているのだろう。不義理をしたままで、年に一回の年賀状にわびの言葉を添えて出していたのだけれど、いつの間にか連絡が跡絶えてしまった。わび助の花の時期になるとお稽古に通っていた頃のことを思い出し、師匠のことが偲ばれる。「ふるさと便」は「魔法便」
掲示板
