つらい予報「秋が短くなりそう」

十月七日(金曜日)、夜明け未だしで、窓ガラスの外は暗闇である。雨は降っていないようだけれど、こののちの天候は、いまのところはわからない。体感で知り得るのは、きのうに続いて寒気が痛烈である。きのうの寒さは、わが身に堪えた。寒気の証しにはほぼ一日じゅう、人工の熱源(ガスストーブ)にすがっていた。現在の寒気からすればきょうもまた、きのうの日常生活の繰り返しになりそうである。できればそれは、真っ平御免こうむりたいところである。気象予報士だったか、それともテレビニュースのアナウンサーだったか記憶にないけれど、「秋が短くなりそう」と、言っていた。四季にあって秋が短ければ、その前後は長いことになる。ところが、すでに過ぎた夏は、残暑さえ撥ね退けて短く去った。そうであればこの先は、おのずから冬が長いことになる。そうであれば寒気を極端に嫌う私には、とんでもなく厳しい季節回りになる。体調不良で執筆は、今にも頓挫しそうである。体調不良に寒気が加われば、たちまち「ぐうの音」も出なくなる。私は長袖への衣替えどころか、早やてまわしに冬防寒重装備で、寒気に備えなければならい。九月に続いて十月もまた、異常気象となるのであろうか。ふるさとの柿は、すでに二度送られてきた。ところが、ふるさと産・新米の宅配は、まだかなり先になりそうである。すなわち秋は、いまだ真っ盛りとも言えないのに、もう秋仕舞いかな? とも思える予報を耳にした私は、一瞬度肝を抜かれた思いだ。わが身に堪えた「秋が短くなりそう」という、予報だったのである。世界中の科学者が警告する地球温暖化傾向など、私にはまったく実感するところはない。研究に研究を重ねた挙句、そんな嘘っぱちなど、私は聞きたくもない。へそ曲がりゆえにあえて記すと、地球寒冷化傾向であれば、大いに納得するところがある。結局、寒気を嫌う私は、秋短く、冬長い季節のめぐりは、懲り懲りである。夜明けて、曇天の寒空である。わが身は冷え切っている。